東北地震

怖がらせるのがメディアの仕事か?

東京電力福島第一原子力発電所事故による農畜水産物等への影響
~関係府省等のサイトへのポータル
http://www.maff.go.jp/noutiku_eikyo/index.html

というサイト、皆さんご存知でしたか?
各省庁から、今回の原発事故に伴う情報が幅広く公開されていますが、その入り口となるサイトです。

原発事故についてご心配な方は、ぜひ一度アクセスしてみてください。

厚生労働省は、膨大な数の食品について放射性物質の検査を実施した結果を公開しています。
http://www.maff.go.jp/noutiku_eikyo/mhlw3.html

私は、このようなサイトがあることを、残念ながらまったく知りませんでした。
毎日「どこそこで何々が検出された!」とか、そういう「危ない」情報ばかりネットやニュースで流されているから、いったい行政は何をしているんだ!なんて、結構憤慨していたんですよね。

まぁ、何もしていないわけはないと思っていましたけど、メディアってどうしてこういう消費者の選択の目安になるような材料をもっと積極的に公開しないのでしょうか?

確かに基準値は暫定でしかないため、そこが不安ということもあると思います。
でも、何も指針がない中で、闇雲に怖がっていては、何も食べられなくなってしまいます。

東北の農作物なんて何があっても食べたくないって人は、食べなければいいし、それはそれでその人の選択権を行使しているだけですから、他のところの農作物を食べればいいだけの話です。

根性試しのように、何が何でも東北の物を食べようなどと呼びかけるのも、常識に欠ける行為だと思います。

ただ、私と同じようにただ「怖い」ではなく、ある程度は数値などに沿って、自分で判断したいという方も大勢いらっしゃると思います。
そういう人たちにとって、安心(きっぱり安全とはいえないけど、自分の判断材料になるという意味です)できる情報があれば、それはそれで良いことではないでしょうか。

話は逸れますが、メディアというのは、本当にアテにならないものですね。
情報として何を信じればいいのか、不安が増している今日この頃です。

殺人事件も昔よりずっと減っているのに、連日日本が殺人大国のような報道がなされていますし、その他の犯罪についてもそうです。
とにかく「ほーら、日本はこんなに怖い国だよ、政府も馬鹿だし、どうしようもない」ということばかりで、まぁ、政府が馬鹿というのはその通りですが、そうかといって、何でもかんでも悪い危ないのオン・パレードでは、安心して暮らせる社会などないと欝になる人が出ても不思議じゃありません。

ネット社会になって、これだけ情報の取得が容易になると、事実に基づかない安易な記事(取材にも行かずに適当に書く記者もいると聞きます)が多く存在すると思って、自分自身の情報取得のあり方も問われていると思った方が良い気がします。

また、その根拠って何?と思えるような扇情的な情報を盾に、闇雲に危ない・○○反対!・国は消費者の敵!と違法行為や暴力に訴えて、さも消費者の味方のようなことを言う人もいますが、手段を選ばずそれが正義だと思っている人たちを支持することはできません。

目の前で助けを必要とする人がいれば手を差し伸べるのは当然ですが、意見の相違がある中で自分たちの主張だけが正しいというやり方を許せば、法治国家ではなくなってしまいます。

まぁ、そういうことやってる人には、こんな言葉は通用しないのは分かっていますが、あえて。。。

閑話休題。

私が上記のサイトを知ったのは、科学的根拠に基づく一般社団法人「Food Communication Compass」 のウェブサイトのコラムを見たからです。
こういう、ただ危ないだけの情報ではない科学的根拠のある情報サイトがもっと増えてくれるのを待つばかりです。
何10年経ってから、危険が認識されたというものも確かにあるので、何でも鵜呑みにするわけではないですが、
だからすべて疑ってかかれといわれても、それでは生活できません。
現時点での冷静で科学的な根拠がある指針があって、初めて自分の判断の基準ができるので、万能ではないから駄目というのは、おかしな話です。

FOOCOM.NET
マスコミはなぜ伝えない1万9000件超の検査結果(9/14)

福島の桃の話 ~悲しき風評被害~

以前ご紹介したFOOCOM.NET掲載のコラム「福島の桃 おいしく頂きました」にその2がUPされていました。

以前書いた桃の話を読んだ福島の農業関係者から、悲痛な声が届いたようです。

(引用)
「震災後は応援ムードもあり、それなりに取引されてきていましたが、7月の牛肉での放射性セシウム検出を機に状況が悪化しています。福島県の桃は半数程度が個人の贈答向けに宅配便で売られていましたが、それが完全にストップして共選(森田注:共同選果のための作業場)に桃があふれています。価格も、通常3,000円程度である5キロ箱がいま800円です。再生産どころか経費も出ないという水準で、生産者は精神的にも非常に参っているという印象です」という。
(引用終わり)

牛肉問題があった後は、急激に注文が減ってしまい、例年の半額に引き下げなくてはならなかったとか。

気持ちは分かりますが、酷い話です。

私の周りでも、福島の桃買いましたという人がいますが、やはり実際に果樹園にアクセスして直接正規価格で買うというのが、応援の方法としては良いのかも知れません。

ちゃんと独自にモニタリング検査もされていますし、なにしろ美味しいので、そういうことならという方は、ぜひ福島県の果樹園のサイトにアクセスしてみてください。

季節物なので、ちゃんと検査されているなら気にしない!という方は、ちゃちゃっとアクセス♪♪

よろしくお願いします。

私は、産直で美味しい桃を買いました。

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あるひとつの批判。

褒められるとこそばゆい。

日本人は、反省ばかりしていて決断力がなく、あいまいで裏で何を考えているか分からない。

個を大切にせず、溶け込みにくいとか海外の人々から言われていました。

それが、今回の地震の際、パニックにならず列にきちんと並んだり、略奪などがないということについて、世界が驚きをもって報道しました。

集団の中での秩序ある行動が、個ばかり尊重される欧米諸国では信じられない光景だったようです。

確かにアメリカのハリケーンなどの際、お店のドアや窓を割って入り、それ今生きるのに関係あるのか?というようなものまで我先にと盗んでいく映像が流されたのを見ると、日本じゃこれはないかもなぁ~と思いながら見ていました。

ただ、集団心理というのは恐ろしいもので、日本人も「みながやるから」となったら、これは分からないなと思いました。

不要な買い占めなども起こりましたし。

違うなと思うのは、こういうことが起こった時、「自分達がちゃんとしなくては」と組織立ってリーダーとなるような人が人々をまとめて、周りの人たちもなるべく協力しようという人が多いため、秩序立った行動が取られることになるのでしょう。

私たちの子供の頃は、人に迷惑を掛けてはいけないと、口煩く言われましたし、今でもそういうところは自分の中に生きています。

これも一長一短で、それが高じて人間関係が希薄になり、隣に誰が住んでいるかも分からないという状況が都会では普通になりました。

今回の震災を受けて、これではいけないと思った人たちが多くなったようです。

また、反省好きな日本人は、褒められることに対して「火事場泥棒みたいなのがいて、人が褒めるほど日本人は良い人ばかりじゃない」と色々なところで言うようになりました。

それは本当のことですが、略奪というのは、暴力を伴った奪い合いのようなことを言うので、それがないというだけでも、海外の人々にとっては珍しいことだったに違いありません。

悪い人がいない国など有り得ないので、彼らだってまったく犯罪がなかったとは思っていないでしょう。

それでも、こんな混乱した中で秩序が保たれているということは、驚きの対象だったでしょうし、私たちも誇りに思っても良いことではないでしょうか。

驕りの気持ちは悪ですが、誇る気持ちは持っていたいです。

納得できることが一番だと思います。

なんでもそうですけど、自分が行動するときは、ある程度自分自身がその行動に対して責任を持てることとか、自分がこれでいいんだと納得できるということが大事だと思っています。

福島の桃を注文したり、東北方面に遊びに行って活性化の超微々たるお手伝いが出来たりすればいいなと考えていますが、無理をしているということは一切ありません。

福島の原発については、作業員の方が急性白血病で亡くなったというニュースもあり、因果関係はないと発表されていますが、にわかに信じがたいのは事実です。

潜伏期間がどうとか、確かにあるかも知れないけれど、あまりにもタイミングが良すぎる(良いというのは不謹慎かもしれませんが)し、今まで色々隠蔽したり、政治家が口止めしたりして真実が語られなかったことを考えると、それを鵜呑みにするというのも無理な話です。

だから、怖いから近づきたくないとか、福島の物を食べるなんて冗談じゃないとか、そう思ってしまうのは、科学的なベースがどうという以前に人として分かります。

そういう方が無理をして「世間がこんな風だから」などといった理由で支援したりとか、そういうのは意味がないし、やらない方が良いと思います。

人には選択の権利があり、犯罪を犯すということを除いては、自分がどう生きるかを選択できるわけだし、それが人と違ったからといって、何ら咎められるいわれはないので、嫌だというのを無理して周囲にあわせたりする必要はまったくないはずです。

また、そういう人に対して批判めいたことを言うのはおかしな話です。

私自身は、年齢的にも多少被曝したからといって、特に顕著なものはないだろうし、死ぬときに癌になったからといって、それが今回の問題と関連があるかどうかはまったく分からないわけですから(何せ日本は癌が死亡原因のトップで、多かれ少なかれみんな癌になっているので、考えてもあまり意味がないんですね)、それだったら、なかなかボランティアなどに行かれない分、超微々たる貢献かも知れないけれど、東北の産物を買うとか何もしないよりはそれでいいのかなと思ったりしています。

それに福島の桃、本当に美味しいんです。

そんなに大量に買うわけではないので、足しになるかも分かりませんが、こうやって少しずつでも長く続けて行かれたらと思っています。

東北だけではなくて、関東近県でも大きな被害があり、浦安などは液状化で酷い状態だと聞いています。

そういうところには行政の手がちゃんと届くようにと願うばかりです。

1人では、すべてのことについて何かできるということはないので、やはり被害が甚大だった東北ということになってしまいますが、被災した方たちが良い方向に向かうよう日々祈っています。

東日本大震災・動画 ~その真実は必要か~

2日前くらいでしょうか、You Tubeで面白い動画でもないかなと探していた時のことです。

色々と見ていくと、案外全然関係ない動画が右横に上がってきたりして、なんで?と思ったりしているのですが、それで面白い発見などもあるので、サーフィン状態で楽しんでいます。

なぜそこに行き着いたのか覚えていないのですが、たぶんニュース関連のところに行って、その先にあったのだと思います。

東日本大震災の動画がたくさんUPされていて、まだまだ関心の高い話題だし、継続的にボランティアや支援活動がなされているというような動画もあり、なかなか現地には行かれないけれど、せめて募金とか節電くらいは頑張らないとなぁ~なんて思いながら、なにげなくそのひとつをクリックして見始めました。

結局、途中でやめてしまって、閉じてしまったのでどこの映像かまで覚えていないのですが、最初、瓦礫の山になった町の様子などが映し出されて、それから見つかったご遺体が並べられている様子(もちろん、布などが被せられています)があり、こんな風に見つかったご遺体を当初は並べていたんだと悲しい気持ちになりながら見ていたのです。

・・・が、次の瞬間、「えっ?!」と絶句。

そこから先は、モザイクもない、そのままのご遺体やご遺体を抱き上げる捜索隊の画像が次々に映し出されていたのです。

中には、目を見開いたままのご遺体の写真もありました。

あまりに驚いて少しの間見てしまったのですが、はっとなってすぐに止めました。

よくよく見ると、真実を知って欲しいというようなキャプションがついていて、そういう意味か・・・と考えさせられてしまいました。

そして、その動画のページの右に出ていた関連動画も、どうやらそういう種類の動画らしく、中には「グロ注意」などと不謹慎な言葉が書かれたものもあり、動画は最初から再生ストップして見ませんでしたが、そのページを開くとキャプションに「わははは」と笑い声らしき文字を入れていたり、心の腐った人間て、本当にいるんだなと気分が悪くなりました。

知りたい・見たいという欲求は、人間なら誰にでもあります。
だから、そういう人たちが例えば海外のサイトなどで自ら調べて見るというのは理解できるのですが、戦争などではなく、たった数ヶ月前に自然災害で亡くなった方のご遺体をモザイクも入れずに同じ日本人が「これが真実だ」などと書いてUPするというのは、正直言って私には理解できません。

しかも、私が途中まで見た動画には、それだけ聞いていれば「良い曲だな」と思うような音楽までついていて、作っている背景を考えると、なんだか怖くなりました。

動画といっても、そういう写真をつなげて編集してあるものですから、これを作った人は、そういう数々の写真をつなぎ合わせて、音楽まで入れ、ある意味「作品」に仕上げているのです。

これを「真実を伝えたい」という名目でUPするというのは、違うのではないかと思います。

自分が作ったその「作品」をただ見てもらいたいという風にしか感じられませんでした。

だいたい、亡くなった方のご遺体を今頃「提示」することがなぜ必要なのでしょうか。

津波の恐怖や被害の甚大さを知るには、あの瓦礫の山を見れば十分分かるし、原発事故のことを考えても、今後どういう対策が必要かという判断は、何も「ご遺体」を見なくても分かると思います。

確かに実際に亡くなった方の姿を見ていないと、すごい実感は沸かないかも知れませんが、同じ日本人として亡くなった方の死を悼む気持ちは、持ち合わせています。

こうやって人が亡くなったということを見ることが、今の時点で本当に必要かは、どうしてもわかりません。

私たちも遠い国での戦争被害などで、亡くなった方の写真を見る機会があります。

でも、だいたいいつも最小限だし、外国の話だからと客観的になれるのは、どこの国の人も同じだと思うのです。

だから、知りたい・見たいという欲求自体を否定もしないし、批判する気はないけれど、日本人があからさまな海外報道の写真や動画を「真実です」と言って集めて載せる背景には、自分達のそういう欲求についての後ろめたさが隠されているようで、そのことに違和感が強くありました。

もちろん、全部の動画を見ていないので、そういう意図ではないのもあるのでしょう。

幸い、強制的に見させられるものではないので、私は「見ない」ということを選択しました。

どうするかは、個人の自由です。

愛情で、子供に害を与える親

先日、放射能汚染から子供を守りたいという母親たちの集会みたいなものがテレビで紹介されていました。

子供を内部被曝から守るため、給食は食べさせずにお弁当を持たせているとか、とにかくお母さんたちは必死の様子でした。

行政に訴えても何もしてくれないと涙ながらに訴える人もいて、まぁ、あの厚生労働省のお気楽な対処方法の告知などでは、大事な子供のことを考えたらお母さんたちが必死になるのも分からなくはありません。

グループディスカッションなどでは、「給食は安い野菜を使ってるから心配」(だから汚染されている可能性がある)という意見を必死に話すお母さんに周囲の人もとても真剣な顔をしてうなずいていました。

正直いって、どこにも根拠などない「安いから悪い(かも)」という発言を真顔で聞いているのには驚きましたが、その場というのは「危ないに決まっている」という人たちばかりが集まっているので、こういう冷静に考えれば根拠がどこにもないことなど分かりそうなことでも、きっと悪いに違いないとなってしまうんだろうなぁ~と思って見ていました。

こういう集団に科学的な根拠など必要ありません。

自分がどれだけ子供のことを思っているかをわかってくれるという存在が大切なので、たとえばこういうお母さんたちに夫が「そこまで心配しなくても」などと言おうものなら大変です。

こういうことで、離婚にまで発展したケースがあったというので、母親の子を思う気持ちの強さには脱帽です。

そういう人たちを安心させるのは、科学的なデータでもなんでもないので、逆を言えば「科学的根拠のある正確なデータ」では、母親を安心させてあげることなどできないというのが本当のところです。

まぁ、お子さんへの愛情の発露ということで、見守るしかないのかな・・・なんて考えてもいました。

ところが、最近どうもそんなことを言っている場合じゃないという事が起きていて、内容を読んでひっくり返りそうになりました。

BLOGOSというサイトに「子供を守りたい親の気持ち? 知るかそんなもの!」という記事が載ったのですが、一部のジャーナリストやネットによって必要以上に恐怖心を煽られた親たちが、自分の子供に何をしているのかということが書いてありました。

もともとは、「あやしい放射能対策」というコラムを見た著者が「なんじゃそりゃ?!」的に驚いた内容を書いているのですが、最近「これが放射能汚染(内部被曝)に効く」等と、まったく根拠もない民間療法などがもてはやされているらしく、中でも「米のとぎ汁乳酸菌」なるものを作って子供に吹き付けている親の話は、もう絶句!という感じでした。

単なるとぎ汁ではなく、米のとぎ汁に塩や砂糖をまぜて1週間近く常温で発酵させたものなのだとか。

これをヨーグルトに混ぜて食べさせたり、霧吹きで肺に吸い込むと乳酸菌や細菌の働きで放射性物質が痰と一緒に排出されるというのです。

これをネット検索すると、本当にやっている親もいるらしく結果として「発熱」「咳、たん」「下痢」の症状が出ているようなのですが、親たちはこれを「好転反応」だと言って、効いている証拠だと思っているようなのです。

冷静に考えられる人にはわかると思いますが、塩や砂糖を加えて常温で発酵させたとぎ汁など、無菌室で作っているわけでもなく、容器を滅菌している様子もないとのことで、これはもう雑菌とカビの培養液といっても過言ではありません。

上記の症状は、そのような「毒」を吹き付けられたことで起きた反応=病気の症状です。

つまり、私が子供を守らなければ誰が子供を守るの!という母親が科学的な根拠のある情報は信用せず、何ら根拠のない(データの提示もない)、インチキ民間療法で、子供たちを病気にしているのです。

著者は続けて、ツイッターで(たぶん、母親の過剰反応に対する意見への反論なのでしょう)「子供を思う親の気持ちをないがしろにしないで」というつぶやきを見た時、ある種の人たちに大切なのは、「親の気持ち」であって、あくまでも子供は親の気持ちを体現するための器に過ぎないと思ったそうです。

確かに子供を思う親の気持ちを尊重するということは大切でしょう。

でも、そういう気持ちがあったとしても、雑菌とカビを子供に吹き付けて病気にしている親たちに「お子さん思いですね」などと悠長に言っているわけにはいきません。

著者がコラムの最後に「今の日本において守らなければらないのは子供の健康であって、決して子供を守りたい親の気持ちではない。そのことを絶対に見誤ってはならない」と書いていますが、まったくその通りだと思います。

いい加減、目を覚まして子供を危険にさらすのはやめて欲しいです。

ストレスの方が体に悪い。

何回か書いた気はするのですが、私は別に原発礼賛者ではないですし、より安全な方法で電力が供給されるということに何ら反対するところなどありません。

ただ、こういう問題が起こると、実際にどうなのか、どうなるのかということよりも、0か100か、白か黒かと両極端なことばかりが叫ばれたりするために、その結果、自分たちの首を絞めるような行為にならないかと心配しているだけです。

聞きかじった情報だけで、なんとなく、でも子供は心配だから「反対!」となり、猛暑で死者も出ているという現状でも「政府と東電は悪、あんな人たちがやっている原発なんて信じられない」を繰りかえしています。

あんな人たち・・・と呼びたくなるのは、私も同じですし、信用もしていませんが、何でもかんでも同一視して問題を見えなくしてしまうのはいただけません。

以前、福島から瓦礫を運んできて処分するといったある行政の長に猛烈な抗議の電話やメールが殺到したことがありました。

蓋を開けてみたら、別に放射性物質が検出されるようなものではなく、単なる「瓦礫」。
そもそも高い濃度の放射性物質が検出されるものなど、勝手に移動はできません。

かなりなフライングだったと思います。

このように落ち着いてちゃんと検証すれば大騒ぎすることでもないのに、ちょっと聞きかじった情報で悪い方に捉えてしまうのは、却って被災地の方の心労を増やすだけのような気がします。

もちろん、自分も。

以前、緊急時の被曝量の値を1mSvから20mSvに引き上げたことについて、通常の20倍だと大騒ぎになりました。

確かに1が20になったら、それはおかしいと思うのが普通で、このこと自体は驚くことでもないと思います。
家族を守るとかそういうことを考えたら、体に悪影響のあるものは、低いもしくはないに越したことはないからです。

ただ、この時も「どうしてそうなったのか」や、本当にそこまで酷いことなのか・・・という「一歩引いた検証」は、残念ながら行われてはいなかったと思います。

この20mSvについては、東京大学名誉教授の唐木先生がFOOCOM.NETに寄稿したコラムが非常に分かりやすいため、リンクをご紹介します。

著作権等の理由で、全文引用するわけにはいかないため、ぜひお読みください。

ふたつのパラダイム
http://www.foocom.net/column/karaki/4274/

【コラム中の語句の解説】
パラダイム:ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。
使用例;企業は新しいパラダイムを必要としている」

しきい値(閾値):その値を境にして、動作や意味などが変わる値のこと。

さて、ここからは上記コラムを読んでいただいたと仮定して進めます。

コラムでも書かれていましたが、単に放射性物質の値だけではなく、このような非常時において、日常と違った生活を強いられた場合のストレスなど、健康被害の原因になるその他の要因も考慮しないと、放射性物質の人工被曝量の基準である1mSvにこだわるあまり、その他の要因を無視して人々の生活を変えてしまった場合には、個人の体調や精神的な状態で通常よりも多少増えた放射性物質を被曝するよりも、ずっと悪い状態になってしまうことがあることを知り、冷静に対応することが必要ではないでしょうか。

最近、ニュースなどで障害を持った方が激変した生活の苦痛から、せっかく震災で助かったのに避難所で急死されるということが報道されていました。

知的障害などの場合、自分が受けている苦痛をうまく表現できず、また持病などの状態を伝えられずに病状が急激に悪化するということがあるようです。

これからいかに被曝量を減らしていくかということが急務ですが、このように緊急時にそこで生活をする人がいる場合には、その他の要因なども冷静に判断し、ひとりでも多くの方が少しでもストレスを少なくして暮らせるよう、考え、行動する必要があると思います。

都会は今、節電の真っ最中。
私の会社のビルも28℃設定ですが、どこを基準に28℃を計っているのかは分かりません。

パソコンなどの熱を放出するものを使っていますし、午後には暑さでボーっとして仕事がはかどりません。

熱中症の危険も大きく、被災地でなくてもかなりな苦痛を受けている人も多いのではないでしょうか。

東京の大混雑した通勤電車内で、汗のすえた臭いを嗅いでいると気分が悪くなり、倒れそうになることがあります。

もちろん、被災地の方を思えば、これくらい我慢しなくてはと思いますが、仮に何年もこの状態でと言われたら、病気になるのではと心配です。

被災地じゃなくとも、この状態が長引けば、ストレスから病気になる人も増えてくるのではないでしょうか。

既に死者まで出ている熱中症の心配もあり、原発でなくていいけれど、本当に人々が健康で暮らせる程度の電力がきちんと供給されるよう、良い方向に一刻も早く進んで欲しいです。

しかし、相変わらず勉強もしていないメディアの煽り記事が散見され、ガイガーカウンターで「あそこが何mSv」だのというのを見ると、本当に腹が立ちます。

政府にも東電にもげんなりですが、適当な記事を書いて人の恐怖心を煽り続ける一部メディアにもうんざりしています。

集団ヒステリーとはこれいかに ~自民党石原幹事長の発言~

6月14日付けの時事通信によると、自民党の石原幹事長は、福島第一原発事故のあとの反原発の動きについて、「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べたという報道がありました。

事故の規模などを考えたら、人々が不安から原発に反対!という運動を起こしても理解できなくないということだと思いますが、こともあろうに「集団ヒステリー」という下品な言葉を使ったことについては、父親(東京都知事のあの方です)の血を引いているのねという以外に言葉が見つかりません。

親子でこれかい!という感じで、ため息が出てしまいました。

ただ、今巻き起こっている反原発の動きについて、言葉は不適切だとはいえ、そういう捉え方もあるというのはうなずけます。

私は、この期に及んでも選挙だの権力闘争だのと、困っている国民を二の次にして馬鹿騒ぎをしている日本政府及び与党、そして下野したといっても、長年政権を担っていた自民党が明確なビジョンも何も打ち出せず、結局民主と同じ土俵で相撲を取っているのを見て、本当にがっかりしていますし、この人たちの肩を持つつもりなんて1mmもありません。

しかし、多角的に物を見ることが出来ず、ひとつの事柄だけに焦点を当てて盲目的に賛成だの反対だのと声を上げる人たちに賛同する気にもなれないのです。

子供を持つ親御さんは、それは心配で仕方ないのはわかりますし、子供がいなくても自分自身のことを考えたって、色々な基準などはなんでも厳格な方が良いし、安心できますから、厳しくして欲しいとすることについて、異論がある訳ではありません。

以前の記事にも書きましたが、科学をベースにしたコミュニケーションの難しさについては、なかなか科学と一般の方たちの折り合いがつかないのは、科学ベースで考えるか、データはどうであれ心配だからという「思い」だけで考えて行動するのでは、そもそものベースが違うので、なかなかうまくいきません。

残念なのは、「反対」という強い意見を持つ人ほど、物事の安全情報には耳を傾けず、「危ない」と言う人の話しばかりを信じて、「安全」という人は嘘つきであり、危険と言ってくれる人は自分達のことを考えてくれる味方であるという意見を持つ人のなんと多いことか。

それでは、自分自身で情報を取捨選択して判断するという行為はできていないことになります。

日本人は、もともとネガティブな情報が好きという国民性があるため、性質とも言えるのですが、客観的に判断して「反対」ではなく「安心」できなければ「危険」という、まったく質の違う事柄で物事を判断してしまうため、失礼な言葉とは思いつつ、「集団ヒステリー」と受け取られるような行動を取ることもママあるのは事実です(ても、言葉でそれを表現するのは失礼だと思います)。

緊急時の被曝許容値について、通常の1mSvから20mSvに変更された件では、1が20になった訳ですから、急に20倍もの高い値になって、びっくりするのも無理はありませんし、反対行動が巻き起こるのも理解できます。

ただ、一連の行動を見ているとやや冷静さを欠いていることも事実ですし、扇情的な報道の方ばかり参考にして、騒いでしまっている方たちがいるのも事実だと思います。

20mSvの良し悪しについては、正直私には分かりません。

ただ、なぜその値が出てきたのかなど、客観的に見た時、その理由については評価できる理由があることも分かりました。

つづく

ただちに問題はない・・・は間違っているのか その2

(かならずその1からお読みください)

科学は万能ではありません。

今「こうだ」からといって、何10年か先も「そう」とは限らないこともあり、「今は大丈夫」と言うと「じゃあ、将来は?」と思うのが心情です。

このようなことから、当初放射性物質の濃度その他で連日会見を行っていた枝野長官が「ただちに問題はない」を繰り返し、国民の失笑を買いました。

「将来どうなるか分からないのに避難させなくていいのか」

「ただちにっていって、じゃあ、何年後かにはダメなの?」

等々、さまざまな批判が巻き起こりました。

事故当初から、政府の広報のお粗末さは明らかで、情報統制ではなく、きちんと分析した情報をしかるべきところから確実に国民に伝えるという努力をしていたら、あっちもこっちもテンでバラバラで信用できそうな情報が分からない・・・ということにはならなかったでしょうし、政府としても、もう少し国民の信頼を得られたのではないでしょうか。

バラバラに出てくる訳の分からない情報。

TVなどでも、あの科学者はこういっているけど、こっちの人はこうだったという状態で、基礎的な知識がない人々は、不信感しか持たなくなって当然だと思います。

これはもう、菅政権の失策以外の何物でもなく、肩を持つ気にはまったくなれません。

では、その政府の失策云々は別として、客観的に見た場合、この「ただちに問題はない」という表現は、間違っていたでしょうか。

最初に書いたように、科学は万能ではありませんが、しかし今まで積み重ねてきた知見を総合的に判断し、物事の基準が作られていることは間違いありません。

万能でないからといって、積み重ねたデータや経験まで否定してしまっては、客観的に冷静に物事を判断することが出来なくなってしまいますから、少なくともある程度長い期間で研究がなされ、積み重ねられたデータに基づいて決められた基準というのは、それを冷静に分析して物事に当てはめ、判断の材料としていかなくてはならないでしょう。

科学をベースにしたコミュニケーションが難しいのは、人々は危険がゼロになることを望みますが、危険はゼロになることは絶対にありません。

例えば、どんなに慎重に行動したとしても、ある日車に跳ねられて死ぬ確率はゼロではありません。
自分は交通法規を守って歩いていても、車が暴走して突っ込んでこないとも限りませんし、以前はトラックの巨大なタイヤが外れて親子を直撃するという悲惨な事故もありました。

そのことを心配するあまり、まったく外出しなければ、安全でしょうか?

車などの事故に遭う確率はぐっと低くなるかも知れませんが、運動不足による弊害が出てくるかも知れませんし、よほど大きな邸宅にでも住んでいない限り、閉塞感でストレスが溜まってしまうでしょう。

ストレスは万病の素と言われるほど体に悪いため、胃に穴が開いたり、癌になる確率が上がるかも知れません。

交通事故に遭う確率(事故の危険度)は下がったとしても、健康で長生きできる確率が上がるとは限らないのです。

今回、枝野長官が放射性物質の濃度のことで会見をした際に「ただちに問題はない」と繰り返したのも、表現としては実は間違ってはいませんでした。

本来は、「今、基準を超える放射性物質を短時間浴びたとしても、危険と言われる基準の計算の素になっているのはその一番濃い濃度の場所に1時間居続けた場合に浴びる量を計算しているため、多少の時間その濃度の放射性物質を浴びたとしても、今後避難したり事故が収束して濃度が下がったりとさまざまに変化する要因があることを考えると、少しの時間浴びていたとしても、ただちにそのことが原因となって健康を害するようなことはない」という意味です。

「ただちに問題はない」

「だったら今浴びたことが原因で10年後にどうなるかは分からないんだな?」

という意味での「ただちに」ではないんです。

ただし、このことは先に書いたようにリスクについての知識などがない場合は、イコール「何年か先は分からない」と捉えられても仕方のない表現なので、使う場合は慎重に、そしてある程度の基礎的な知識をちきんと提供した上で使わないと、間違った解釈をされてしまうことは十分考えなければならなかったのです。

絶対に大丈夫とは絶対にいえない中で、国民にどういう表現を使って説明すれば良いのかということで科学者に相談したかもしれません。

科学者は、絶対に安全などないことを前提に物事を考える人たちですから、客観的に見てこうだという説明をしたのかも知れません。

ただし、それは間違っていなくても、通常このような言葉が一般の人々にどう捉えられるのかという分析をしなかったことが、最大の失敗だったといえるでしょう。

続きは、最近大騒ぎとなった被災地域の被曝限度の値「年間1mSv→20mSv」について考察したいと思います。

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