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マンガは楽し(その1) 女子高生は不幸がお好き。

今はまったく漫画というものを読まない私ですが、遠~い遠~い昔の10代の頃は別マとかぶーけとかを買って読んでました。

そのさらにもっと昔(もう記憶もない)である小学校の頃は、なかよしとかりぼん(笑)
なかよしに連載されていた「キャンディ・キャンディ」って、楽しみだったなぁ~。

とはいえ、こっちは、もっぱら付録目当てでしたけど。

何がどこで連載されていたとか、そんなことはすっかり忘れてしまいましたが、なんだか漫画について考えていたら、懐かしい~と思って思い出したのを挙げてみたいと思います。

トシ、バレるね(笑)

言っておきますが、時系列順は無理。
もう、記憶がありません。
内容はいちいち細かく紹介しませんので、興味を持ったらAmazonででも探してみてください。
復刻版とかであるかもしれません。

現実離れした内容として、一世を風靡したのは「砂の城」
有閑倶楽部がドラマにもなりましたから、若い人もご存じの一条ゆかり先生の作品です。

一条さんの作品て、絵が綺麗で大人っぽいストーリーが多かったので、たとえ「有閑倶楽部」のように主人公が高校生メインの作品でも、ちょっと他とは違っていました。

代表作の砂の城、なんと舞台はフランス。
お金持ちのお嬢様ナタリーとイケメン孤児フランシスの恋のお話なんですけど、もうこれがあり得ないくらい不幸な出来事満載のストーリー(笑)

とにかくなんでここまで不幸なことばかり起こるのかしらん?って感じで、主人公のナタリーとフランシスのこれでもかっ!!ってくらいの悲しいストーリー展開にハマります。。。

今の子と違って、海外旅行なんてしている家庭がほとんどなかった時代ですから、私の子供の頃におフランスなんて、それはそれは遠い異国の地。

そこで繰り広げられる実は日本的な不幸満載の物語は、少女の心をわしづかみにして離しませんでしたよ。

ああ、ナタリーったら可哀想・・・・。
でも、大人になってからのナタリーのジコチューぶりにイラっとしたこともありましたけども。

そして、おフランスといえば、もちろん池田理代子先生の「ベルサイユのばら」を忘れるわけにはいきません。
フランス革命を背景に男装の麗人オスカルが大活躍する物語。

これもまぁ、不幸っちゃー不幸な物語なんですよね。
昔の漫画って、こういう暗い影を負う主人公の人生を読むみたいなのが流行った気がします。

オスカルって、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェって名前なんですけども、他もまぁ、こんなの覚えられないよって名前ばっかりで、もっぱら、オスカルとかアンドレくらいでお茶を濁していたんですけどね。

マリー・アントワネットもちょっとバカっぽい感じ(と受け取ったのは私だけ?)で出ていましたっけ(フランス革命だから出ないわけにいかないですよね)。

なんて書くとなんだかさっぱりわかりませんが、平たくいえばそういう時代背景の中に生まれた人々の愛の物語でございます。

これも、舞台がおフランスですし、古い時代のお話ですから、現実離れしていて、とっても面白かったです。

と、ここまで3作品(キャンディ・キャンディ、砂の城、ベルサイユのばら)は、すべて外国が舞台で、主人公が度重なる不幸に直面してもけなげに生きていくという共通項がありました。

昔の女子中高生って、不幸なネタが好きだったのね。
ただの胸きゅん♪ラブ・ストーリーじゃなくて、現実離れした胸きゅん♪ラブ・ストーリーが流行ってましたっけ。

入院&通院日記 やっとこさ一旦退院。

ひたすら点滴を繰り返し、いい加減飽きてきた3日目。

私の今回の病名は「胆のう炎」といって、胆のうに胆石があることで発作が起き、胆のうが腫れてしまっている状態なのだとか。

だから、実際には胆石がなくならない限り治ることはなく、そしてできた胆石はどうやら自然に消えることはないので、小さければ薬でも小さくできるらしいが、私の場合は結構大きいみたいなので、胆のうを取ってしまう以外に道はないらしい。

先生がいつものように回ってきて、「どうですか?」とお腹を触って痛みはあまりないというと、数値がいいから昼から食事が出るという。

やっとかぁ~となんだか感慨深い。

いやまぁ・・・感慨ってほどのことじゃないけど(笑)

Img_3010

五分がゆ、煮豆、ひじきの煮物、鶏肉の煮物、トマト&玉ねぎが3日ぶりのお食事。

「おお!」

なんでも、食べられるというのは良いものだ。
ほうじ茶まで付いてるし。

「・・・・・うまいぃ~」

甘い煮豆を食べた時の感激っていったらもう・・・・

絶食して、水分といっても水かアクエリアスみたいなやつ以外はダメだったので、甘味に飢えていたのだと思う。

それに全体としてはまぁ、病院食なんてこんなもんじゃね?って感じだったけど、お米が割と美味しかったので、お米大好きおばさんとしては、これはポイント高かった。

こんな感じで普通に食べられるようになったので、ようやく退院となりました。
手術の話は外来の時ってことで、やっと病院とはおさらば!

会計を済ませ、8万弱の会計にとほほ・・・。
しかも、後から分かったことだけど、「月マタギ」だったことで1か月の料金は4万弱だったので払い戻しの対象にはならず、「なぜ月末になんて救急車に乗ったんだ!」と自分に呪いの言葉を吐いた。

しかも、救急搬送だったから、その分の加算金がなぜか「全日」に加算される。
解せない。
なんで毎日割増なのさ!

会計を済ませて荷物を片付けたら、昼にはさよなら。
顔なじみ?になった看護師さん(採血の時、私の血管を探しまくって針をグリグリやった人だけど)がエレベーターが到着するまでの間、色々とおしゃべりしながら待っていてくれた。

手術までの注意事項とか色々と釘を刺されました。

入院&通院日記 初外来

入院&通院日記 とりあえず入院した。

一旦帰ることも許されず、観念した私は、再び車いすに乗って病室のある3階に移送された。

302号室でお世話になることになった。

これから、絶食で24時間点滴なのだとか。
まぁ、この状態でご飯を食べたいという欲求もないので、それは特に問題じゃないわと説明を受けながら思った。

点滴といえば、すでに処置室で何かの点滴を付けられていたのだが、後から聞いて分かったのは、とりあえずそれはブドウ糖とかそんな感じの生きるために必要な栄養素が入ったものだった。

シンガポールで高熱を出した時に抗生剤の点滴を打ったことがあったので、点滴は生まれて初めてではない。

しかし、これを24時間しっぱなしということは、トイレに行く時も何をする時にも外せないので、不便なことこの上ない。

これも後から分かったことだが、302号室は9人部屋だった。
満室ではないので、あまり気にならなかったし、黄色いカーテンをずっと閉めているのでプライバシーも特に気にならない。

周りの人とあいさつすることもなく、和気あいあいとした病室を期待していた私はちょっと拍子抜け。

まぁ、それはそれで面倒くさいのでいいやとも思ったが。

部屋は可もなく不可もなくという普通の病室で、感覚的にあまり陰湿な印象はなく、オバケも出そうにない。

だが、扉は常に全開なので、入院中たまに聞こえてくる叫び声のようなものに、驚く夜もあった。

6月29日(日)朝

病院の朝は早い。

午前6時には電気が点き、活動が開始される。

順番に部屋を回り患者の熱を測って血圧を測る。
37℃の微熱があることがわかったが、自分ではちっとも熱くなかった。

冷房も適度に入っているし。

やけに固いベッドと小さな枕に頭を載せ、見える世界はこのカーテンで仕切られた空間のみ。

開け放した扉の向こうからは、職員が歩く音や何かを運んだ際のカタカタという音のみが聞こえてきた。

具合が悪いので、なぜかもうひたすら眠い。
まぁ、夜中に救急搬送で寝てからまだ数時間しか経っていないのだから、眠いのは当たり前か。

看護師の数は正確には分からないが、その部屋専任というわけでもなく、交代で務めているようだった。

「あじゃみんさん、おはようございます。今日このお部屋を担当するXXXです」

交代する度にそう言って、その日の当番を教えてくれた。

この病院の看護師さんたちは、総じて感じの良い人が多かった。
明るいし、テキパキしている。

主治医の欄には、なぜか二人の医師の名前が書いてあったのだが、最終的には高橋克実似の先生が私の担当という感じだった。

期待したけど、さすがにドラマに出てくるようなイケメン医師は見当たらず、後日このことを友人Oggiにメールして「私の担当の先生は高橋克実似な んだよね、あの俳優の。実際はもっとずーっと若いけど」と書いたら、「克典じゃなく?」って返事が来て思わず声を出して笑ってしまった。

( ´艸`)プププ

かくして、私の主治医は克実先生と呼ばれることになった。

閑話休題。

患者になるというのは、本当に嫌なもので、自分で普通にできることもできないから、結構人の手を借りなくてはならないので、看護師は「これが仕事です」って100万人の経験があったとしても、私という患者は1人なので、私がその時に感じることはいわば「初めて体験する時の気持ち」なわけで、そういう微妙な感じ方は「慣れた人」には汲み取れないことも多いのではないだろうか。

そんなことを感じることもあったりしたけれど、逆にそういうことを細やかにケアしてくれる人もいたりで、こればかりは個人差ですねぇ。

その最たるものは、2回目の入院と手術のシリーズで。

入院&通院日記 やっとこさ一旦退院。

入院&通院日記 発症2

◎移動

ガタガタと揺れる救急車で運ばれた先は、自宅最寄駅から4つめの駅近くの総合病院だった。

もっとも、それが分かったのは先の話だけど。

どうやら病院は改装中らしく、「今、工事してますから正面からお願いします」という声が聞こえた。

搬送口ではなく、正面に回って停まる前、「歩けますか?それともこのままがいいですか?」と聞かれたので、さすがにもう歩きたくないと「できればこのままがいいです」と答え、台のまま移動となった。

ガタガタと音のする台のまま薄暗い廊下を移動し、内科医の待つ部屋へ。

隊員2が詳細に状況を説明してくれる。
さすがプロ、へなへなと説明した内容をかいつまんで簡潔に説明していた。

聞いていた内科医は、見ると30代くらいの若い医師だった。

聞き終わってから、私の方を向いて、

「あじゃみんさん、痛くなったときは、何をしていましたか?」

にこにこと妙に明るく聞かれたが、何をしていたかなんてよく覚えていないし、特に変わったことなどしていた覚えはない。

「・・・・特になにも」

やっとの思いで答えたものの、先生は「???」という感じで、「いや、何かしていたでしょ?例えばテレビを観てたとか」というので、ああ、そういうことかと「たぶん、パソコンで何か見ていたと思います」と適当に答えた。

覚えてないってそんなこと。

この質問の意味が退院した今でもさっぱり分からない。

必要なんだかどうだかわからない内容でのしばしのやり取りののち、「もしかしたら、胆のうとかがおかしいかもしれないので、造影剤を入れてCTで撮影しようと思うのですが、たまにショック状態になることもあるので、同意書にサインしてもらえますか?」と同意書を渡された。

『ショック状態???』

うつろな目で読むと、かなりレアではあるものの、造影剤の注入が原因でショック状態になったり、重篤な作用がある場合があると書いてあった。

その時になる時もあるし、時間が経ってからなる場合もあるとのことで、そうはいってもそれを拒絶したところで何かわかるわけでもないし、やってもらうしかないだろうなぁ~と思って震える手でサインした。

「車いすに座ってください」

看護師にうながされ、初めての車いす体験。

キコキコというホラーな感じの音を聞きながら、ぐったりしつつCTの前に撮影すると言われたレントゲン室に到着。

レントゲン技師に促され、四角い機械に胸を当てて撮影。

「では、次はCT行きます」

再度車いすで移動し、フラフラとしながらなんとか立ち上がって撮影用の短パンに履き替えて巨大なドーナツの中へ。
今度の技師さんは、三瓶(1,2,3,4三瓶ですってあの三瓶ね)みたいな喋り方の人で、

「では、これから造影剤を注入します。液が入ったら、体中が熱くなってくると思いますが、入り終わったら治まりますので、心配しないでください」

そうゆっくりいうと、左の腕に針を刺した。

そして、しばらく経つと言った通り体中がカーッと熱くなった。

しかし、数秒でその熱さは消え、あとは「息を吸ってぇ~、止めて」という声に合わせて息を吸ったり吐いたりした。

CTというのは、なんだかすごい音がするんだと思っていたので、何の音もしないことにびっくりした。
(のちに勘違いだということが判明したが)

あっという間に撮影は終わり、なんとか着替えてまた車いすに乗り、元いた場所なのかどこかわからない部屋に連れて行かれ、簡易ベッドの上に寝て待っているように言われた。

簡易ベッドに寝かされ、朦朧としていたら、壁を隔てて隣にいた医師と看護師の声が聞こえてきた。

今時、オンラインで撮影した画像が送られてくるのか、「できました」と言いながらその画像を見ている(気配がしていた)。

すると、医師と看護師両方が「あっ!これ!」と叫んだので、びっくり。

『なっ、何があったの???』

胃が痛いだけだと思ったのに、別の可能性を示唆され、しかもそれは別に死ぬような病気でもないので、そんなに驚くことなのか?と心臓がドキドキしてきた。

「なんだよ、これ」

医師のちょっとした言葉にも心臓が高鳴る。

「やだ、名前間違ってるじゃないですか」

『・・・・ん?名前?』

その後のやり取りで、私の画像なのに全然別の人の名前が入力されていたため、どこかに電話をして修正してもらうことになったのが分かった。

重い病気だったらどうしようと思っていた私はホッとしたのだが、考えてみればレントゲンやCTの画像が別の人の物になるというのは怖い話。

まぁ、すぐにわかったことだったので、とりあえず何事もなかったということで忘れることにした。

痛いから、それどころじゃないし。

しばらくしたら内科医が私のところに来て、「あの、やっぱり胆のうがおかしいかもしれないので、外科の先生にも診てもらいますから、少しお待ちくださいね」と、相変わらず飄々とした明るい口調で言った。

「・・・・はい」

もうなんでもしてくれよという気分の私は、ひとこと返事をしただけで、また目を閉じた。
仰向けだと痛みが増すので、壁側に顔を向けて、痛みを忘れるように呼吸をすーっと吸ったり吐いたりして気を紛らわしていた。

しばらくしてスタスタとまた足音がして、横向きでちょっとうつらうつらしていた私の肩がポンポン!と叩かれ、「あじゃみんさん!外科医のMでーす」と、こちらもなんだか妙に明るい男性医師が目の前に立った。

「あのねぇ、診たところ胆のう炎だから、入院!で、手術ね」

『えっ?!マジ?!』

思わず飛び起き・・・たい気持ちはあったけど、痛さでそれも無理、ちょっと上半身を起こしただけでギブアップしてしまった。

挨拶みたいにやたら明るく、そして軽~く言われても、保険証以外何も持ってきてないし、財布にはお金がほとんどないので、いきなり入院なんて困る!

しかも、手術なんてそんな・・・。

「あの・・・一旦帰っていいですか?」

そう聞く私にドクターMは「ダメダメ。それから、食事はなーし!」とこれまた楽しそうに絶食を言い渡した。

しかし、なんで患者に入院や絶食を言い渡すのに、そんなに明るく楽しそうなんだと心の中で思いながら顔を見ていたが、全身に鈍い痛みが回っている状態では、その外科医の態度に突っ込みを入れる気力もない。

( ̄▽ ̄;) 痛いから元気ないねん。

簡易ベッドの上のおばちゃんは、まな板の上の鯉(鯉と書いてトドと読む)でもあった。

入院&通院日記 とりあえず入院した。

入院&通院日記 発症1

2014年6月28日(土)

◎命の番号

なんとなくお腹の辺りがじわりと痛いので、変だなぁ~と思いつつも、もともと胃痛持ちの私には「いつものやつか」というくらいの認識だった。

ただ、最近はこの胃痛が「背中全体まで痛い」という時があり、明らかに違うなぁ~と思っていたのだが、近くの診療所で胃薬を貰って飲んだら治まっていたので、あまり気にしていなかった。

しかし、痛みはじわじわと増してきて、23時ころにとうとう体全体に鈍い痛みが広がって、冷や汗が出る始末。

医者の薬もなく、市販の漢方胃腸薬しかなかったので、とりあえず飲んでみたものの、まったく効く様子もない。

痛い・・・・。

とりあえず何があってもいいようにシャワーを浴びて体を綺麗にしておこうと風呂場に直行。

お腹を温めると一時的に痛みが和らいだ。

時刻は変わって、翌29日(日)夜中になった。

シャワーを浴びて髪を乾かし、必死の体でベッドに戻ったものの、あまりの痛みに「これは、もうダメだ」と覚悟を決めた。

覚悟というのは、救急車を呼ぶということだ。
ちょっとした軽い病気で近所のなんとかクリニックに行くことはあっても、救急車を呼ぶのは初めてで、タクシーで行けないんですか?とか言われたらどうしようとドキドキでした。

めったに使わない自宅の電話機の受話器を取り、1・1・9とプッシュ。

トゥルル・・・

「はい。119番ですが、火事ですかぁ~?救急車ですかぁ~?」

甲高い女性の声が耳元から聞こえた。

「あの、救急車をお願いしたいのですが」

119「どうしました?」

あ「胃が痛くて、背中まで痛くなって我慢ができません」

119「お名前と住所を教えてください」

あ「あじゃみんです。住所は・・・・」

119「今お話しされている電話番号を教えてください」

あ「XXX-XXX-XXXXです」

119「救急車向かいますので、そのままお待ちください」

以前ニュースを見て不安に思っていた「自分でタクシーを呼べ」とは言われなかったので、一安心。
がしかし、胃薬を探し回ってそこらじゅうを引っ掻き回してちらかり放題のこの部屋に救急隊が入ってくるのも困る。

力を振り絞って、1階まで下りることにした。
この時点では、まさか入院させられることになるとは一ミリも思っていないのんきな私だった。

いつも持っているなんでも入っているバッグを斜め掛けにして、気力を振り絞って1階に下りて行き、救急車の到着を待った。

「そういえば、財布にお金が入ってない」

とりあえず保険証は持ってるし、お金なんて病院の近くのコンビニでもどこでも下せるからいいかと自分に言い聞かせ、座り込んで待っていた。

「・・・・しんどぉおおお」

もう、冷や汗がダラダラである。

ピーポーピーポーピーポー

( ̄▽ ̄) / 来た!

いつもはりるび「うるさいな」というサイレンの音もこの日ばかりは白馬の騎士現る!みたいな気分だった。

正面は狭すぎて止められないとわかったのか、裏手の少し広めの道路に止めたのが音でわかったので、なんとか歩いて行こうとしたら、マスクをした救急隊が「歩けますか?」と近づきながら聞いてきた。

返事はひとこと「はい」と、蚊の鳴くような声だった。

だって、痛いんだもん。

救急隊の中の台?に横になり、2人の救急隊にお世話になることになった(運転手は別みたい)

隊員1「はい、では血圧とか図らせてもらいますね」

あ「はい。(もう、なんでもしてください)」

隊員2「お名前を教えてください」

から始まって、年齢を聞かれ、痛くなった経緯とか細かく細かく質問責め。
痛いんだから、早く病院にとは思っても、隊員としては私の様子から一刻を争うという感じではないと踏んだのか、ゆっくりと時は流れて行った。

痛いのに。
痛いのに。
痛いのに。

こっちの苦しみとは関係なく、色々と質問された後で、どの病院に運べばいいのかということであたりを付け、「どこそこのなんとかという病院にかけてみます」と電話で救急搬送が可能かどうかを聞いてくれたが、当直の先生が形成外科医ということで症状からして無理というので断られた。

「えー、じゃぁ、次はXXXにかけてみようか」

独り言なのか分からないが、次に電話する病院を決めたようだ。

また最初から説明をし、内科の先生が別途対応中だが、それが待てるようならというので、大丈夫だと伝えた。

隊員2「大丈夫とのことですので、ではそちらに運ばせていただきます」

こうして、到着から10分ほど後、救急車はやっと走り出した。

ピーポーピーポーピーポー

感想。

救急車って、結構揺れるのね。

入院&通院日記 発症2

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