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物事を理解するためには、背景を知ることが重要

何かの事象を正しく認識するためには、やはりその事柄の背景を知るということが大切だと思います。
私たちが歴史を学ぶのも、別に興味本位なわけではなく、先人の生活その他を知ることで、今生きている我々が現代に活かす事ができることも多々あるからです。

また、時間が経って全体を見ないと正しく認識することが出来ない事もあります。
今だからこそ、その当時に立ち返って「なぜそうなったのか」「違う道はあったのか」など検証できる、またはすることも非常に大切で意味のあることだと思っています。

TVを捨ててしまったので、最近はネットや新聞記事などで色々なニュースに接していますが、最近あった沖縄防衛局の田中聡前局長が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に関する環境影響評価書の提出時期をめぐり、「(女性を)犯す前にこれから犯しますよと言うか」と発言した問題で更迭されたというニュースは、聞きかじった程度でした。

なんとなくそこだけをニュースで見たり、聞きかじったりしていたので、「そんなこと人前で言っちゃうんだ、馬鹿だなぁ」というのと、「そんな酷い発言をした人は更迭されて当然」と普通に考えていたのです。

ですが、今日ネットで読んだこの事件(?)についての解説を読んで、「これってどうなのか?」と、首をひねってしまいました。

私が見落としていただけなのですが、この田中局長の発言は、記者たちとの「完オフ」会見、つまり「完全に中身は内緒だから」という懇談会のような形式の中での発言だったのです。

琉球新報が「オフレコとはいえ看過できない発言」として、約束を破って掲載してしまったわけですが、このことで今後の取材のあり方が大きく問われることになってしまいました。

解説によると、取材といっても「オンレコ」「オフレコ」と2種類あって、「オンレコ」というのは報道することを前提にした取材で、「オフレコ」はそうでないもの、または発言者を断定されない形での報道に限定するというものだそうです。

そして、オフレコの中には「完オフ」つまり、一切何も報道しないという「完全なるオフレコ」も存在し、今回は田中局長が「完オフだから」と言い、記者たちも誰も異議を唱えなかったことから、田中局長が発言したことは一切報道しないという「約束」がなされていました。

このことを考えると、確かに田中局長の発言は人権を無視した馬鹿げた発言だったと思いますが、オンでの取材だったとしたら、そんなことはさすがに言わなかったのではないかと考えられます。

もちろん、彼の資質というか、それ以前に人としてどうなの?という部分はあると思います。でも、「分かりました報道しません」と承諾し、約束をしておいて、「それは酷いからやっぱり言う」となったら、今後「なかなかオンでは話せないけど、オフならいいよ」という微妙な内容のことについては、明確な取材拒否の理由が出来てしまい、その後の取材も制限されて、国民の「知る権利」も脅かされることになってしまいそうです。

完オフだからこそ、ざっくばらんに意見交換をしたり、今後の取材のベースになるような話が聞けることもあるのに、何かあったら約束を破って書いちゃうよーとなったら、誰もそんな取材には応じられないとなりますよね。

今回の問題は、「報道するにしても、その後の手順をきちんと踏まなかったこと」で、今後の取材がやりにくくなることが予想される事態になってしまったとのことでした。

正義感で暴走したのかも知れませんが、最近前頭葉が発達していないのか、後に起こる事柄について、あまりにも思慮に欠けた行動を取る人が増えているので残念です。
また、最近はなんでも「起こった事柄」だけにスポットが当てられてしまい、物事の背景を根気強く取材した報道がほとんどないため、「これについてこう思いましょう」的な誘導にも似た報道が行われる傾向があることも感じます。

メディアの質がこれだけ低下している時に「取材時の約束も簡単に破ります」と堂々と宣言されては、取材される側もたまったものではないですよ。
また、約束を守って取材してきた人たちにも多大な迷惑を掛けていることに気づいてないとは悲しいですね。

まぁ、そうかといって、田中局長の更迭が「可哀想」なんて思いませんけども・・・。

「犯す前に…」発言 琉球新報のオフレコ破りを考える
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/diplomacy/537285/

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