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[リミット] ~この映画が持つメッセージとは~

ソリッド・シチュエーション・スリラー(和製英語:極限状態のスリラーの意)といえば、SAWの公開からこの方大流行ですが、ある場所に閉じ込められたり、「ここしかない」的な場所でずっとストーリーが展開する映画です。

この[リミット]([ ]も題名の一部)も、棺に入れられた男が終わりまでずっとそこから助けを求める映画です。

実際に観客に姿を見せるのは、ライアン・レイノルズ演じるポール・コンロイただひとり。
後は電話で話す相手の声だけです。

暗闇の中で目覚めた男は、自分がいったいどこにいるのかまったく分かりません。
何も見えずにパニック状態になりますが、ライターやら携帯電話が置かれているのに気づき、灯りを点けて周囲の状況を確認して、絶望に駆られると同時に少し落ち着きを取り戻します。

そこから、なんとか助かろうと電話をかけまくります。

観客は、その電話の内容から、ほどなく男がポール・コンロイという米国国民であること、仕事でイラクにきて物品を運ぶトラックの運転手をしていたということがわかります。

ポールは、必死で会社に電話したり、政府機関に電話したり・・・。
自分の妻に電話しても携帯には出ないし、別の人にかかったと思えば、こっちは状況が状況で焦っているのに「そんな口をきくな」みたいな対応だったり。

まぁ、イラクで棺ごと埋められているといわれて、関係者だったらまだしも、すぐに状況を把握してくれる人なんていませんよね。

私だって「いたずらしてんの?」って疑うかも知れません。

しかし、ポールは嘘でもなんでもなく生き埋めにされているのです。
そのギャップもまた怖い。

犯人からの電話で5万ドルの身代金を夜9時までに用意しないと、殺されることになることが分かり、ポールの焦燥感はつのります。

とにかく思いつく限り電話をかけまくり、やっとある組織の人間と電話が通じるのですが、「テロには屈しない」という米国の人質に対するスタンスが分かり、ここでもまた薄ら寒くなります。

もちろん、助けてくれようとはするのですが、組織(というより、国)の救出方針と犯人・人質との思いの間にはかなりのギャップがあります。

この映画、「棺の中」という極限の設定なので、確かに「普通はこうするんじゃないの?」とか、「なんでこうしないのか?」って客観的に見ると、とにかく突っ込みどころは満載です。

でも、最後の最後にくるとそういう「こうしてみれば」的な行動なんて、もししても意味がなかったことが分かってきます。

普通は、それだって「やってみないと分からないから」となるでしょう。

そういう「現実との矛盾」に焦点を当ててしまうと、全然面白くない映画だと思います。

それよりも、この映画に込められた強いメッセージに注目してみると、これってすごい映画だったんだなと分かるのでは?と思いました。

しかしまぁ、この棺の中という設定のリアルなこと。
全編通して見ていて息苦しくなるほどです。

これ以上は、ネタバレにならないと書けないので、ページを分けることにします。
見てみたい!と思った方は、リンクをクリックしないでくださいね。

Limit
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[リミット](2010)

原題: BURIED
監督: ロドリゴ・コルテス 
上映時間: 94分
出演:ライアン・レイノルズ

******以下、ネタバレを含みます******

見始めた時は、単に「埋められた男の脱出劇」だと思っていたのですが、見終わった後で大きな違和感が残りました。

それにしては、なんでイラクなの?とか。

いえ、ストーリー自体に矛盾はないんです。

イラクで物品を運搬している時に襲撃され、気づいたら埋められて午後9時までに5万ドルの身代金を払わないと殺されるってことで、そういうこともあるだろうなって。

でも、その設定をイラクにしたのは何なのか?

身代金目的の誘拐だけだったら、何も設定がイラクでなくても必然性を持たせるストーリーなどいくらでも出来ますから。

なんとなく気になった箇所を見返してみて、なるほど・・・と自分なりに納得しました。

犯人からの電話で、5万ドルを要求されていることを国務省の職員に告げるのですが、「アメリカ合衆国は、テロリストと交渉はしない」と一蹴され、身代金を払ってはもらえないことが分かります。

この後、テロ人質対策の責任者のダン・ブロナーと話したことで、わずかな希望を持つようにはなるのですが、ブロナーは相手はテロリストではなく、我々と同じ人間だというのです。

自分が職を失い食うに困って、家族が路頭に迷ったらどうする?と聞かれ、ポールは「それでも人殺しなんてしない」と言います。

「本当に?」

ブロナーは聞き返します。

その時、犯人から電話が入り、金は用意できたか聞かれ、国はテロリストに金は払わないと思わず言ってしまうのですが、「私がテロリスト?」と聞き返されてしまいます。

「俺は家族のために仕事で来ただけなんだ」

そういうと、犯人は「私も仕事をしていたが、今はない」と返します。

その後ストーリーが進むにつれ、何回か犯人とのやり取りがあるのですが、段々と相手の正体が明らかになっていきます。

「俺が何をしたっていうんだ?」というポールに「同時多発テロもサダムフセインも私のせいか?」犯人はポールに問いかけます。

そして子供がふたりいるんだと話すポールに「私は5人いた。今は1人だ」と返し、戦争で大切な家族を失ったことが分かるのです。

蓋を開けてみたら、ポールも誘拐犯も一般市民であり、どちらも戦争の犠牲者だということでしょう。

復興の名の下にビジネスを展開する業者の報酬に釣られて、妻の反対を押し切ってイラクに来たポール。

単なるビジネスであるはずが、自分の国が起こした戦争で職も家族も失って「金のためにはなんでもする」悪人になってしまった犯人に人質に取られてしまうのです。

そこに交渉の余地など、あるはずがありません。

今回がダメなら、次を探すまでです。

結局、戦争で犠牲になるのは弱い立場の市井の人々であり、もっともらしい大義名分のために何の罪もない一般市民が誘拐犯にまでなってしまう、そしてまたその犠牲になるのも一般市民であるという、戦争に対する強いメッセージが込められた映画だったのではと思います。

そう思って見ると、この映画の内容がまったく違ったものに見えてきて、余計にやるせない気持ちになったのでした。

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