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キャタピラー

以前から観たかった映画、キャタピラーをDVD鑑賞しました。
今回は、ネタばれでストーリーを詳細にご紹介しますのでご注意ください。

この映画は、黒川シゲ子の夫・黒川久蔵少尉が日中戦争から帰国したところから始まります。

爆撃によって四肢を亡くし、顔半面が焼けただれた姿で戻ってきた夫の変わり果てた姿を見た時、錯乱するシゲ子ですが、夫の武勲を褒め称えられ、軍神とまで言われたことで、仕方なく「お国のため、軍神の妻として誠意を尽くす」と夫の世話をすることにします。

親類もいますが、手足もなくただ寝ているだけの久蔵は正直言って厄介者です。
戦争は第2次世界大戦へと変わり、田舎暮らしの彼らの食料は、ほとんどが配給で困窮してきているからです。

「お義理姉さんを里へ返さなくて良かったわね」

と、つい本音をもらしたことから、お国のために闘って帰ってきた立派な兄だの息子だのと言っても、そんなものは建前に過ぎず、シゲ子に世話を押し付けられるのでホッとしているのが分かります。

一度は、久蔵の首に手をかけたシゲ子ですが、「おしっこ」と搾り出すように口の形で知らせた久蔵に思わず尿瓶を取って世話をしてしまい、そこからは複雑な表情をしながらも、夫の世話を始めました。

久蔵は、見た目は、人としてというより、動物として生きるために必要な本能の部分しか残っていません。

・食べて
・寝て

・・・そして、シゲ子を求める意思を伝え、驚くシゲ子ですが、いやいやながらも夜の相手をするのです。

部屋には、昭和天皇・皇后両陛下のお写真が飾られ、今回のことで頂いた勲章が3つと軍神として称える新聞記事が飾られています。

久蔵は、自分の生きている意味を確認するように、シゲ子にその勲章や新聞記事を見せろと合図します。
うんざり顔のシゲ子ですが、結局、その後のシゲ子の行動の後ろ盾も、この勲章と新聞記事になっていきます。

最初は、世話することで精一杯だったシゲ子ですが、徐々に夫と自分の立場が戦争に行く前と後とで力関係がまったく逆になっていることを自覚し、苛立ちを直接久蔵に向けるようになります。

夫の貰った勲章と新聞記事を見て、なんとか平静を保とうとしますが、日に日に苛立ちは募っていきます。

とうとう、夫に軍服を着せて勲章をつけ、リヤカーで外出するようになりました。

行く人は「軍神様」と夫を拝み、軍神を世話するシゲ子対しては、「銃後の妻の鑑」と口ぐちに褒め称える言葉を発します。

「妻として当然です」

笑顔で答えるシゲ子ですが、見世物にされたとわかっている久蔵は、農作業をするシゲ子をリアカーの上から、ただ呆然と見つめていました。

後半に行くに従い、久蔵が戦地で女性を強姦して殺したりした過去がフラッシュバックとなって出てくるのですが、それはシゲ子が絶対的に弱い立場になった久蔵に対する復讐ともいえる言動から、抵抗できない弱い立場になって初めて自分のしたことがどんなことだったのか、思い知らされたのです。

そのことがきっかけで、シゲ子との夜の営みもできなくなり、シゲ子にとって久蔵は、本当にただ食べて寝るだけの塊となってしまったのです。

久蔵に対して、さらに冷たく当たるシゲ子。
そんなやり取りの中で、久蔵が元気な時は、子供ができないのをシゲ子のせいにして暴力を振るっていたこともわかってきます。

これは人なのか?
そんな状態で帰ってきた夫を「お国のため」と捨てることができず、夫に大切にされていた思い出もないのに、本能だけで生きる夫を世話しなくてはならない。

結局、自由を奪われたのは、手足を亡くした久蔵というよりも、お国のためという大義名分のために、一生久蔵の世話をすることになってしまったシゲ子だったのです。

「子供が産めないって、私を何度も殴ったじゃないの」

怒りを爆発させ、久蔵に暴力を振るうシゲ子。

同時に夫をこんな姿で返しておきながら、軍神という言葉で片付けてしまう国への憤りも噴出しているようでした。

最終的には、「こうなったのはあなたのせいじゃないのに」と、夫に酷いことをしたことを悔いるのですが、立場が逆転して自分の悪行を思い知らされた久蔵は、シゲ子の不在時に、手足のない体で這っていき、自宅前の小川に身を投げて死を選びます。

本能ではない、人間性をはっきりと取り戻した時、久蔵は生きることを望まなかったのでしょうか。

皮肉なことに、アメリカから原爆を落とされた日本が降伏し、ポツダム宣言を受諾。
長かった戦争が終わりを告げた日でした。

1945年8月15日 敗戦

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キャタピラー(2010)
R15+
上映時間: 84分
監督: 若松孝二
脚本: 黒沢久子、出口出
キャスト: 寺島しのぶ、大西信満、吉澤健、
粕谷佳五、増田恵美、河原さぶ、石川真希、
飯島大介、地曵豪、ARATA、篠原勝之

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東日本大震災・動画 ~その真実は必要か~

2日前くらいでしょうか、You Tubeで面白い動画でもないかなと探していた時のことです。

色々と見ていくと、案外全然関係ない動画が右横に上がってきたりして、なんで?と思ったりしているのですが、それで面白い発見などもあるので、サーフィン状態で楽しんでいます。

なぜそこに行き着いたのか覚えていないのですが、たぶんニュース関連のところに行って、その先にあったのだと思います。

東日本大震災の動画がたくさんUPされていて、まだまだ関心の高い話題だし、継続的にボランティアや支援活動がなされているというような動画もあり、なかなか現地には行かれないけれど、せめて募金とか節電くらいは頑張らないとなぁ~なんて思いながら、なにげなくそのひとつをクリックして見始めました。

結局、途中でやめてしまって、閉じてしまったのでどこの映像かまで覚えていないのですが、最初、瓦礫の山になった町の様子などが映し出されて、それから見つかったご遺体が並べられている様子(もちろん、布などが被せられています)があり、こんな風に見つかったご遺体を当初は並べていたんだと悲しい気持ちになりながら見ていたのです。

・・・が、次の瞬間、「えっ?!」と絶句。

そこから先は、モザイクもない、そのままのご遺体やご遺体を抱き上げる捜索隊の画像が次々に映し出されていたのです。

中には、目を見開いたままのご遺体の写真もありました。

あまりに驚いて少しの間見てしまったのですが、はっとなってすぐに止めました。

よくよく見ると、真実を知って欲しいというようなキャプションがついていて、そういう意味か・・・と考えさせられてしまいました。

そして、その動画のページの右に出ていた関連動画も、どうやらそういう種類の動画らしく、中には「グロ注意」などと不謹慎な言葉が書かれたものもあり、動画は最初から再生ストップして見ませんでしたが、そのページを開くとキャプションに「わははは」と笑い声らしき文字を入れていたり、心の腐った人間て、本当にいるんだなと気分が悪くなりました。

知りたい・見たいという欲求は、人間なら誰にでもあります。
だから、そういう人たちが例えば海外のサイトなどで自ら調べて見るというのは理解できるのですが、戦争などではなく、たった数ヶ月前に自然災害で亡くなった方のご遺体をモザイクも入れずに同じ日本人が「これが真実だ」などと書いてUPするというのは、正直言って私には理解できません。

しかも、私が途中まで見た動画には、それだけ聞いていれば「良い曲だな」と思うような音楽までついていて、作っている背景を考えると、なんだか怖くなりました。

動画といっても、そういう写真をつなげて編集してあるものですから、これを作った人は、そういう数々の写真をつなぎ合わせて、音楽まで入れ、ある意味「作品」に仕上げているのです。

これを「真実を伝えたい」という名目でUPするというのは、違うのではないかと思います。

自分が作ったその「作品」をただ見てもらいたいという風にしか感じられませんでした。

だいたい、亡くなった方のご遺体を今頃「提示」することがなぜ必要なのでしょうか。

津波の恐怖や被害の甚大さを知るには、あの瓦礫の山を見れば十分分かるし、原発事故のことを考えても、今後どういう対策が必要かという判断は、何も「ご遺体」を見なくても分かると思います。

確かに実際に亡くなった方の姿を見ていないと、すごい実感は沸かないかも知れませんが、同じ日本人として亡くなった方の死を悼む気持ちは、持ち合わせています。

こうやって人が亡くなったということを見ることが、今の時点で本当に必要かは、どうしてもわかりません。

私たちも遠い国での戦争被害などで、亡くなった方の写真を見る機会があります。

でも、だいたいいつも最小限だし、外国の話だからと客観的になれるのは、どこの国の人も同じだと思うのです。

だから、知りたい・見たいという欲求自体を否定もしないし、批判する気はないけれど、日本人があからさまな海外報道の写真や動画を「真実です」と言って集めて載せる背景には、自分達のそういう欲求についての後ろめたさが隠されているようで、そのことに違和感が強くありました。

もちろん、全部の動画を見ていないので、そういう意図ではないのもあるのでしょう。

幸い、強制的に見させられるものではないので、私は「見ない」ということを選択しました。

どうするかは、個人の自由です。

愛情で、子供に害を与える親

先日、放射能汚染から子供を守りたいという母親たちの集会みたいなものがテレビで紹介されていました。

子供を内部被曝から守るため、給食は食べさせずにお弁当を持たせているとか、とにかくお母さんたちは必死の様子でした。

行政に訴えても何もしてくれないと涙ながらに訴える人もいて、まぁ、あの厚生労働省のお気楽な対処方法の告知などでは、大事な子供のことを考えたらお母さんたちが必死になるのも分からなくはありません。

グループディスカッションなどでは、「給食は安い野菜を使ってるから心配」(だから汚染されている可能性がある)という意見を必死に話すお母さんに周囲の人もとても真剣な顔をしてうなずいていました。

正直いって、どこにも根拠などない「安いから悪い(かも)」という発言を真顔で聞いているのには驚きましたが、その場というのは「危ないに決まっている」という人たちばかりが集まっているので、こういう冷静に考えれば根拠がどこにもないことなど分かりそうなことでも、きっと悪いに違いないとなってしまうんだろうなぁ~と思って見ていました。

こういう集団に科学的な根拠など必要ありません。

自分がどれだけ子供のことを思っているかをわかってくれるという存在が大切なので、たとえばこういうお母さんたちに夫が「そこまで心配しなくても」などと言おうものなら大変です。

こういうことで、離婚にまで発展したケースがあったというので、母親の子を思う気持ちの強さには脱帽です。

そういう人たちを安心させるのは、科学的なデータでもなんでもないので、逆を言えば「科学的根拠のある正確なデータ」では、母親を安心させてあげることなどできないというのが本当のところです。

まぁ、お子さんへの愛情の発露ということで、見守るしかないのかな・・・なんて考えてもいました。

ところが、最近どうもそんなことを言っている場合じゃないという事が起きていて、内容を読んでひっくり返りそうになりました。

BLOGOSというサイトに「子供を守りたい親の気持ち? 知るかそんなもの!」という記事が載ったのですが、一部のジャーナリストやネットによって必要以上に恐怖心を煽られた親たちが、自分の子供に何をしているのかということが書いてありました。

もともとは、「あやしい放射能対策」というコラムを見た著者が「なんじゃそりゃ?!」的に驚いた内容を書いているのですが、最近「これが放射能汚染(内部被曝)に効く」等と、まったく根拠もない民間療法などがもてはやされているらしく、中でも「米のとぎ汁乳酸菌」なるものを作って子供に吹き付けている親の話は、もう絶句!という感じでした。

単なるとぎ汁ではなく、米のとぎ汁に塩や砂糖をまぜて1週間近く常温で発酵させたものなのだとか。

これをヨーグルトに混ぜて食べさせたり、霧吹きで肺に吸い込むと乳酸菌や細菌の働きで放射性物質が痰と一緒に排出されるというのです。

これをネット検索すると、本当にやっている親もいるらしく結果として「発熱」「咳、たん」「下痢」の症状が出ているようなのですが、親たちはこれを「好転反応」だと言って、効いている証拠だと思っているようなのです。

冷静に考えられる人にはわかると思いますが、塩や砂糖を加えて常温で発酵させたとぎ汁など、無菌室で作っているわけでもなく、容器を滅菌している様子もないとのことで、これはもう雑菌とカビの培養液といっても過言ではありません。

上記の症状は、そのような「毒」を吹き付けられたことで起きた反応=病気の症状です。

つまり、私が子供を守らなければ誰が子供を守るの!という母親が科学的な根拠のある情報は信用せず、何ら根拠のない(データの提示もない)、インチキ民間療法で、子供たちを病気にしているのです。

著者は続けて、ツイッターで(たぶん、母親の過剰反応に対する意見への反論なのでしょう)「子供を思う親の気持ちをないがしろにしないで」というつぶやきを見た時、ある種の人たちに大切なのは、「親の気持ち」であって、あくまでも子供は親の気持ちを体現するための器に過ぎないと思ったそうです。

確かに子供を思う親の気持ちを尊重するということは大切でしょう。

でも、そういう気持ちがあったとしても、雑菌とカビを子供に吹き付けて病気にしている親たちに「お子さん思いですね」などと悠長に言っているわけにはいきません。

著者がコラムの最後に「今の日本において守らなければらないのは子供の健康であって、決して子供を守りたい親の気持ちではない。そのことを絶対に見誤ってはならない」と書いていますが、まったくその通りだと思います。

いい加減、目を覚まして子供を危険にさらすのはやめて欲しいです。

アリス・クリードの失踪

水曜日は映画の日(→私の)。
最近、映画館から足が遠のいていましたが、これではいけないと1,000円札を握り締めてヒューマントラストシネマ有楽町(イトシア4F)に行ってきました。

18:10上映開始(10分CM等あり)という条件で、なかなか大変でしたが、どうにか間に合って座ることができました。

全席指定なので、満席の場合は「門前払い」ってこともあり得ます。

いわゆるミニシアターのため、とても1,000円以上支払う気になれませんから、水曜日か(本当の)映画の日以外は行くことはないです。

椅子は座りやすいし、飲食も出来るので、最低限の心地よさはありますが、なにせスクリーンが小さいので「ここしかない」という映画以外は、あまり利用することはない映画館です。

渋谷にも同系の映画館があり、「ここしかやってない」映画を観るためにたまに利用しますが、お楽しみといえば、映画館の入っているビルの飲食店がなかなか良いというくらいでしょうか。

でも、私は基本的にひとりなので、レストランを利用して帰ることはありませんけれど。。。

さて、映画の話に入りましょう。

この映画、登場人物はたった3人。
誘拐犯2人とその2人に誘拐された大富豪の娘、アリス・クリード。

本当に終わりまでたった3人しか出てこない映画ですが、ストーリーが二転三転と目が離せません。

犯人が作り上げた密室で、登場人物3人が物語をどう引っ張るかですが、テンポがあってよくまとまっていました。

約1時間20分、退屈せず見終わりました。

【ストーリー(みたいなもの)】

ムショ帰りで「親が金持ちの女を誘拐し、大金をせしめる」という計画実行のために手を組んだふたり。

まんまと望み通り大富豪の一人娘であるアリス・クリードを誘拐し、裸にして写真を撮り、父親に送りつける・・・。

「金を払わなければ、娘の命はない」

この誘拐劇、あるところまでは順調に事が進んでいたかに思えたが、突然、思いがけない展開を迎える。

***

登場人物が少なく話がシンプルなので、これ以上の紹介ができないのが残念。
評論家の間でも得点が高かったりそうでなかったりがあるみたいです。

全体を通して見た場合、そこまで高評価にするかな?と思うのですが、そうきたか・・・ふーんと思っていると、えっ?!そっちも?!なんて展開は、なかなか考えられていて面白かったです。

後半は、なんとなく展開が読めてしまったので、少し自分の中での評価が下がってしまいましたが、総体的には楽しめた作品です。

暑い夏の夜を楽しく過ごすことができました。

描写がかなりリアルですしね。
何がリアルかは、観ればわかります(笑)

Alice
(C)CINEMANX FILMS TWO LIMITED 2009

アリス・クリードの失踪(2009)

原題:The Disappearance of Alice Creed
上映時間 101分
製作国:イギリス

脚本・監督:J・ブレイクソン

出演:
ジェマ・アータートン(アリス・クリード)
マーティン・コムストン(ダニー)
エディ・マーサン(ヴィック)

公式サイト

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