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ストレスの方が体に悪い。

何回か書いた気はするのですが、私は別に原発礼賛者ではないですし、より安全な方法で電力が供給されるということに何ら反対するところなどありません。

ただ、こういう問題が起こると、実際にどうなのか、どうなるのかということよりも、0か100か、白か黒かと両極端なことばかりが叫ばれたりするために、その結果、自分たちの首を絞めるような行為にならないかと心配しているだけです。

聞きかじった情報だけで、なんとなく、でも子供は心配だから「反対!」となり、猛暑で死者も出ているという現状でも「政府と東電は悪、あんな人たちがやっている原発なんて信じられない」を繰りかえしています。

あんな人たち・・・と呼びたくなるのは、私も同じですし、信用もしていませんが、何でもかんでも同一視して問題を見えなくしてしまうのはいただけません。

以前、福島から瓦礫を運んできて処分するといったある行政の長に猛烈な抗議の電話やメールが殺到したことがありました。

蓋を開けてみたら、別に放射性物質が検出されるようなものではなく、単なる「瓦礫」。
そもそも高い濃度の放射性物質が検出されるものなど、勝手に移動はできません。

かなりなフライングだったと思います。

このように落ち着いてちゃんと検証すれば大騒ぎすることでもないのに、ちょっと聞きかじった情報で悪い方に捉えてしまうのは、却って被災地の方の心労を増やすだけのような気がします。

もちろん、自分も。

以前、緊急時の被曝量の値を1mSvから20mSvに引き上げたことについて、通常の20倍だと大騒ぎになりました。

確かに1が20になったら、それはおかしいと思うのが普通で、このこと自体は驚くことでもないと思います。
家族を守るとかそういうことを考えたら、体に悪影響のあるものは、低いもしくはないに越したことはないからです。

ただ、この時も「どうしてそうなったのか」や、本当にそこまで酷いことなのか・・・という「一歩引いた検証」は、残念ながら行われてはいなかったと思います。

この20mSvについては、東京大学名誉教授の唐木先生がFOOCOM.NETに寄稿したコラムが非常に分かりやすいため、リンクをご紹介します。

著作権等の理由で、全文引用するわけにはいかないため、ぜひお読みください。

ふたつのパラダイム
http://www.foocom.net/column/karaki/4274/

【コラム中の語句の解説】
パラダイム:ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。
使用例;企業は新しいパラダイムを必要としている」

しきい値(閾値):その値を境にして、動作や意味などが変わる値のこと。

さて、ここからは上記コラムを読んでいただいたと仮定して進めます。

コラムでも書かれていましたが、単に放射性物質の値だけではなく、このような非常時において、日常と違った生活を強いられた場合のストレスなど、健康被害の原因になるその他の要因も考慮しないと、放射性物質の人工被曝量の基準である1mSvにこだわるあまり、その他の要因を無視して人々の生活を変えてしまった場合には、個人の体調や精神的な状態で通常よりも多少増えた放射性物質を被曝するよりも、ずっと悪い状態になってしまうことがあることを知り、冷静に対応することが必要ではないでしょうか。

最近、ニュースなどで障害を持った方が激変した生活の苦痛から、せっかく震災で助かったのに避難所で急死されるということが報道されていました。

知的障害などの場合、自分が受けている苦痛をうまく表現できず、また持病などの状態を伝えられずに病状が急激に悪化するということがあるようです。

これからいかに被曝量を減らしていくかということが急務ですが、このように緊急時にそこで生活をする人がいる場合には、その他の要因なども冷静に判断し、ひとりでも多くの方が少しでもストレスを少なくして暮らせるよう、考え、行動する必要があると思います。

都会は今、節電の真っ最中。
私の会社のビルも28℃設定ですが、どこを基準に28℃を計っているのかは分かりません。

パソコンなどの熱を放出するものを使っていますし、午後には暑さでボーっとして仕事がはかどりません。

熱中症の危険も大きく、被災地でなくてもかなりな苦痛を受けている人も多いのではないでしょうか。

東京の大混雑した通勤電車内で、汗のすえた臭いを嗅いでいると気分が悪くなり、倒れそうになることがあります。

もちろん、被災地の方を思えば、これくらい我慢しなくてはと思いますが、仮に何年もこの状態でと言われたら、病気になるのではと心配です。

被災地じゃなくとも、この状態が長引けば、ストレスから病気になる人も増えてくるのではないでしょうか。

既に死者まで出ている熱中症の心配もあり、原発でなくていいけれど、本当に人々が健康で暮らせる程度の電力がきちんと供給されるよう、良い方向に一刻も早く進んで欲しいです。

しかし、相変わらず勉強もしていないメディアの煽り記事が散見され、ガイガーカウンターで「あそこが何mSv」だのというのを見ると、本当に腹が立ちます。

政府にも東電にもげんなりですが、適当な記事を書いて人の恐怖心を煽り続ける一部メディアにもうんざりしています。

集団ヒステリーとはこれいかに ~自民党石原幹事長の発言~

6月14日付けの時事通信によると、自民党の石原幹事長は、福島第一原発事故のあとの反原発の動きについて、「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは心情としては分かる」と述べたという報道がありました。

事故の規模などを考えたら、人々が不安から原発に反対!という運動を起こしても理解できなくないということだと思いますが、こともあろうに「集団ヒステリー」という下品な言葉を使ったことについては、父親(東京都知事のあの方です)の血を引いているのねという以外に言葉が見つかりません。

親子でこれかい!という感じで、ため息が出てしまいました。

ただ、今巻き起こっている反原発の動きについて、言葉は不適切だとはいえ、そういう捉え方もあるというのはうなずけます。

私は、この期に及んでも選挙だの権力闘争だのと、困っている国民を二の次にして馬鹿騒ぎをしている日本政府及び与党、そして下野したといっても、長年政権を担っていた自民党が明確なビジョンも何も打ち出せず、結局民主と同じ土俵で相撲を取っているのを見て、本当にがっかりしていますし、この人たちの肩を持つつもりなんて1mmもありません。

しかし、多角的に物を見ることが出来ず、ひとつの事柄だけに焦点を当てて盲目的に賛成だの反対だのと声を上げる人たちに賛同する気にもなれないのです。

子供を持つ親御さんは、それは心配で仕方ないのはわかりますし、子供がいなくても自分自身のことを考えたって、色々な基準などはなんでも厳格な方が良いし、安心できますから、厳しくして欲しいとすることについて、異論がある訳ではありません。

以前の記事にも書きましたが、科学をベースにしたコミュニケーションの難しさについては、なかなか科学と一般の方たちの折り合いがつかないのは、科学ベースで考えるか、データはどうであれ心配だからという「思い」だけで考えて行動するのでは、そもそものベースが違うので、なかなかうまくいきません。

残念なのは、「反対」という強い意見を持つ人ほど、物事の安全情報には耳を傾けず、「危ない」と言う人の話しばかりを信じて、「安全」という人は嘘つきであり、危険と言ってくれる人は自分達のことを考えてくれる味方であるという意見を持つ人のなんと多いことか。

それでは、自分自身で情報を取捨選択して判断するという行為はできていないことになります。

日本人は、もともとネガティブな情報が好きという国民性があるため、性質とも言えるのですが、客観的に判断して「反対」ではなく「安心」できなければ「危険」という、まったく質の違う事柄で物事を判断してしまうため、失礼な言葉とは思いつつ、「集団ヒステリー」と受け取られるような行動を取ることもママあるのは事実です(ても、言葉でそれを表現するのは失礼だと思います)。

緊急時の被曝許容値について、通常の1mSvから20mSvに変更された件では、1が20になった訳ですから、急に20倍もの高い値になって、びっくりするのも無理はありませんし、反対行動が巻き起こるのも理解できます。

ただ、一連の行動を見ているとやや冷静さを欠いていることも事実ですし、扇情的な報道の方ばかり参考にして、騒いでしまっている方たちがいるのも事実だと思います。

20mSvの良し悪しについては、正直私には分かりません。

ただ、なぜその値が出てきたのかなど、客観的に見た時、その理由については評価できる理由があることも分かりました。

つづく

嘘か本当か大豆パウダーで顔パック

ゴーヤ化粧水の作り方をググっていた時、あるブログでゴーヤー化粧水の作り方とともに、豆乳パウダーを水で溶いただけのものを顔にパックとして使っているというのを読みました。

なんでも、毛穴の汚れも取れるし、お肌もしっとりするのだとか。

TVでやっていたらしいのですが、TVをほとんど観ない私はちっとも知りませんでした。

私は大豆にはアレルギーもないし、食べるのも好きなので、ちょっとやってみようかなぁ~とネットで大豆パウダーを注文しました。

200gで500円強程度でしたが、送料が同じくらいかかるので、払った額は1,281円(おい)

近所のスーパーで見たことがないので、まぁ、しょうがないかと諦めました。

食品なので、もしパックとして使ってみてダメだったら、小麦粉と混ぜて使ったり、食べちゃえば済むので無駄にはなりません。

さて、早速やってみました。

水で溶くといっても、そんなにサラサラにしてしまっては顔にくっ付かないので、ちょいと粘りが付く程度にします。

これを顔全体に塗って、乾くまで放置し、ぬるま湯で洗い落とす・・・これだけです。

量は適当ですが、ちょい大きめのスプーンに山盛りくらい取ったのを水で溶くと、顔全体にたっぷり塗るのに十分な量でした。

というより、実際洗い落とす段階になって気づきましたが、もっと少ない量で良いと思います。
少ない量を薄く延ばす方が落としやすいです。

塗ってからある程度乾くまで15分くらいでしょうか。
ちょっと突っ張ってきたなと思ったら、ぬるま湯で洗い流します。

最初は、なかなか落ちないので、お湯を含ませてやわらかくなるようにやさしくパシャパシャと掛けます。

その後、豆乳パウダーがやわらかくなったら、丁寧にお湯を掛けて落ちるまで続けます。

この時のコツは、決して焦らないこと。

時間は掛かりますが、手の平で擦るようなことはせず、ひたすらお湯を掛けて「お湯で落とす」ことを心がけてください。

そして、鏡をチェックしてOKなら、冷水で引き締めて終わりです。

今日試しただけですが、本当に毛穴の汚れがごそっと取れて、プルン!とした手触りの肌になりました。

週1回程度で良いみたいですが、続けると美白にもなるそうです。

【注意】
こういうのは、いわゆる民間療法と同じなので、科学的に何かが証明されているわけではありません。
「やってみよう」と思う方は、それこそ自己責任でお願いします。
大豆にアレルギーのある方は、なさらないでください。

ただちに問題はない・・・は間違っているのか その2

(かならずその1からお読みください)

科学は万能ではありません。

今「こうだ」からといって、何10年か先も「そう」とは限らないこともあり、「今は大丈夫」と言うと「じゃあ、将来は?」と思うのが心情です。

このようなことから、当初放射性物質の濃度その他で連日会見を行っていた枝野長官が「ただちに問題はない」を繰り返し、国民の失笑を買いました。

「将来どうなるか分からないのに避難させなくていいのか」

「ただちにっていって、じゃあ、何年後かにはダメなの?」

等々、さまざまな批判が巻き起こりました。

事故当初から、政府の広報のお粗末さは明らかで、情報統制ではなく、きちんと分析した情報をしかるべきところから確実に国民に伝えるという努力をしていたら、あっちもこっちもテンでバラバラで信用できそうな情報が分からない・・・ということにはならなかったでしょうし、政府としても、もう少し国民の信頼を得られたのではないでしょうか。

バラバラに出てくる訳の分からない情報。

TVなどでも、あの科学者はこういっているけど、こっちの人はこうだったという状態で、基礎的な知識がない人々は、不信感しか持たなくなって当然だと思います。

これはもう、菅政権の失策以外の何物でもなく、肩を持つ気にはまったくなれません。

では、その政府の失策云々は別として、客観的に見た場合、この「ただちに問題はない」という表現は、間違っていたでしょうか。

最初に書いたように、科学は万能ではありませんが、しかし今まで積み重ねてきた知見を総合的に判断し、物事の基準が作られていることは間違いありません。

万能でないからといって、積み重ねたデータや経験まで否定してしまっては、客観的に冷静に物事を判断することが出来なくなってしまいますから、少なくともある程度長い期間で研究がなされ、積み重ねられたデータに基づいて決められた基準というのは、それを冷静に分析して物事に当てはめ、判断の材料としていかなくてはならないでしょう。

科学をベースにしたコミュニケーションが難しいのは、人々は危険がゼロになることを望みますが、危険はゼロになることは絶対にありません。

例えば、どんなに慎重に行動したとしても、ある日車に跳ねられて死ぬ確率はゼロではありません。
自分は交通法規を守って歩いていても、車が暴走して突っ込んでこないとも限りませんし、以前はトラックの巨大なタイヤが外れて親子を直撃するという悲惨な事故もありました。

そのことを心配するあまり、まったく外出しなければ、安全でしょうか?

車などの事故に遭う確率はぐっと低くなるかも知れませんが、運動不足による弊害が出てくるかも知れませんし、よほど大きな邸宅にでも住んでいない限り、閉塞感でストレスが溜まってしまうでしょう。

ストレスは万病の素と言われるほど体に悪いため、胃に穴が開いたり、癌になる確率が上がるかも知れません。

交通事故に遭う確率(事故の危険度)は下がったとしても、健康で長生きできる確率が上がるとは限らないのです。

今回、枝野長官が放射性物質の濃度のことで会見をした際に「ただちに問題はない」と繰り返したのも、表現としては実は間違ってはいませんでした。

本来は、「今、基準を超える放射性物質を短時間浴びたとしても、危険と言われる基準の計算の素になっているのはその一番濃い濃度の場所に1時間居続けた場合に浴びる量を計算しているため、多少の時間その濃度の放射性物質を浴びたとしても、今後避難したり事故が収束して濃度が下がったりとさまざまに変化する要因があることを考えると、少しの時間浴びていたとしても、ただちにそのことが原因となって健康を害するようなことはない」という意味です。

「ただちに問題はない」

「だったら今浴びたことが原因で10年後にどうなるかは分からないんだな?」

という意味での「ただちに」ではないんです。

ただし、このことは先に書いたようにリスクについての知識などがない場合は、イコール「何年か先は分からない」と捉えられても仕方のない表現なので、使う場合は慎重に、そしてある程度の基礎的な知識をちきんと提供した上で使わないと、間違った解釈をされてしまうことは十分考えなければならなかったのです。

絶対に大丈夫とは絶対にいえない中で、国民にどういう表現を使って説明すれば良いのかということで科学者に相談したかもしれません。

科学者は、絶対に安全などないことを前提に物事を考える人たちですから、客観的に見てこうだという説明をしたのかも知れません。

ただし、それは間違っていなくても、通常このような言葉が一般の人々にどう捉えられるのかという分析をしなかったことが、最大の失敗だったといえるでしょう。

続きは、最近大騒ぎとなった被災地域の被曝限度の値「年間1mSv→20mSv」について考察したいと思います。

ただちに問題はない・・・は間違っているのか その1

私にとって、今現在の認識としては、今回の福島原発事故については、チェルノブイリのような例もある中で、自然の力を甘く見て安全対策を怠った政府や東電、そして保安院の起こした人災であると思っています。

想定外の津波ということで、自然災害ではあったものの、このような爆弾的な要素を持つものについては、想定を大きく超えた安全対策があってしかるべきだったというのが、大半の方の意見だと思います。

ただ、原発の危険性については、何も言われてこなかったわけではなく、以前から度々「こういうところが危ない」的な話はありました。

今まで何も起こらなかったからと、国民自体も大きな声を上げたわけでもなく、莫大な補助金だか助成金で潤っていた県があり、そのこともあって強く政府や東電に安全対策を迫っていたとは言いがたいことも確かです。

また、事故が起きてからの政府の対応のお粗末さは、「後は誰がなってもいいから、とりあえず辞めてくれ菅総理」と国民に思わせるほど、理性のかけらもない対応で、国民は翻弄されました。

電源が落ちて、状況もまったく分からない初期の段階で東京電力に乗り込み「選挙前なんだぞ分かってるのか馬鹿やろう!!」などと怒鳴り散らして、東電に緘口令を敷いた民主党政権。

そんなことは表には出ないため、東電は当然ながら状況説明を求められ、結局は「あれもいえない」「これもいえない」というしどろもどろの会見で当初から信頼は失墜し、「嘘つき」呼ばわりされることになり、状況も分からない中できちんとした内容が政府にも伝わらず、東電の話と政府の発表が噛み合わないということも多々ありました。

こんな状態ですから、「政府や東電は嘘つき」というレッテルを貼られても、文句は言えないでしょう。
当初から津波で流される人やご遺体を映し出していた海外メディアや、80km圏内を避難区域とした米国などの方が「真実を言っている」とそちらの情報を信用して情報ソースとしていた方も多いようです。

災害などの報道姿勢については、日本と外国ではかなり大きく差があります。

アメリカのような国は、前提が「情報を開示して、判断は見た人の個人の責任」という考え方です。
このようなことがあり、人が流されたり、ご遺体を映したりとある意味包み隠さず報道するわけです。

日本では、極力ショッキングな映像は流さず、何千という被害者がいるにも係わらず、私たちはご遺体などを目にする機会はありませんでした。
これは確かに真実の一部を隠していることになりますが、同じ日本人として大した被害がなかった私たちも、多くは被災者の方たちのことを知るにつけ、大きく傷つき、落ち込んだりしました。
これがもし、真実だからと津波で流される人たちやご遺体などを連日報道されていたらどうなったでしょうか?

見なければいいじゃないかと言われそうですが、状況が分からない中でテレビやネットの情報を確認せざるを得ないため、目にしない可能性の方が低かったでしょう。
日本のメディアの質は、決して良いとはいえませんが、ことこの被災状況の報道については、隠してくれてありがたいと思っています。

しかし、今回のような災害では、海外メディアの報道のあり方が問われる部分もありました。
外国で起こっていることであるため、事実の確認が容易にできないにもかかわらず、悲惨な状況ばかりを報道し、その内容事態は嘘ではないものの、あっという間に日本全体が壊滅状態のような誤った認識を持った人が増えてしまいました。

外国の政府が、自国の人々を守るためにちょっと非科学的と思えるほどの基準を作って避難勧告をするのは、当然といえば当然なので、それ自体は仕方ないことだと思います。

ただ、この例があるからといって、「外国の政府は国民を守るために厳しい基準で勧告したけれど、日本政府は甘い基準で避難区域を狭くした」という理論は成り立ちません。

人の心理というのはそう簡単な構造ではないため、そこに住んでいる人たちを「とりあえず危ないかも知れないから」と有無を言わせず即避難とはいかない状況があるからです。

最近報道された事柄で、人間の心理というのは複雑だと思ったものがあったのですが、あれだけ不自由を強いられている避難所生活で、やっと仮設住宅が出来て高倍率にも打ち勝って当選した家族が「子供が友だちと別れるのが嫌だ」と反対したため、まだ仮設住宅に移っていないというニュースを見ました。

プライバシーを保つのも大変で、温かい食事にも事欠き、不自由な暮らしから少しでも良い暮らしに移れるというのに「友だちと別れたくない」という理由ひとつで、引っ越せない人たちがいるわけです。

少しでも便利な暮らしになれるのにと思った事柄も子供たちにとっては「自分たちだけお友だちと離れて暮らす」ということの方が、「ずっと悲しく我慢できない」ことなのです。

もちろん、すぐにでも移りたいと思っている方も多く、この家族はいわば「わがまま」と言われても仕方ない行為をしているのですが、「わがまま」と切って捨ててしまえる問題ではないと思います。

また、被災地で職を失った人が多くいる現実に他県の企業が「ぜひうちの職場で」と支援の声を上げていますが、実際にはなかなか就職・再就職が進んでいません。

その理由は、被災者の方たちに「地元から遠く離れたくない」という思いがあり、加えて「地元の復興を手伝いたい、見届けたい」という思いの方も多いからだそうです。

これも「この非常時にせっかく職を提供するという会社があるのに」と思う方もいらっしゃるかも知れません。

でも、それだけでは分からない人々の気持ちも受け止めつつ、進めていくのも支援なのではないでしょうか。

上記のような事柄もあり、現場から離れている人は「政府はなにをやっているんだ」と非難する人も多いのですが、では「○圏内は全部非難」と決まったとしても、よほどの根拠がない限り「ここに残りたい」と希望する人も出てきたかも知れませんし、実際そうなって益々混乱したのではないでしょうか。

生まれ育って愛着があり、友人・知人のいる土地から自分の意思ではないのに離れさせられるということは、そう簡単にいくものではないということも、理解しないといけないと思います。

ただ、「避難区域じゃないけれど、怖いから避難したい」という方たちに対して、もっと柔軟に支援するという体制作りも必要だと思います。
「それは勝手にやって」では、あまりにも人間味に欠ける行為ですから、何でもかんでもOKできることはないにしても、もう少し落ち着いた時点で、柔軟な支援体制を敷いて欲しいですね。
もうこの際大連立でもなんでもいいから、被災地の方の安全と日本の復興のために、権力闘争などというくだらないことをして無駄に使っている時間を使って欲しいと思います。

さて、タイトルの内容が出てこないじゃないかと不思議に思われている方もいらっしゃると思いますが、上記の前提を読んでいただいた上でないと理解していただけない部分もあるため、前置き的に書きました。

長くなりますので、その2に続きます。

相身互い身

日経ビジネスオンラインに

デマに耐え切れずまた自殺が…
「知る権利」もあれば「忘れ去られる権利」も必要(趙 章恩)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110606/220480/?P=1
(過去記事になっている場合は、全文は登録すると読むことができます)

という記事がありました。

ネット上のデマを気にして、有名な女性アナウンサーが自殺した話やその他の被害の話が載っていたのですが、怖いと思ったのは、サイバー名誉毀損という罪が存在し、サイバー捜索隊がネット上の名誉毀損について捜索したりしているのですが、今までに捕まった犯人の大半が「小中学生」だったそうです。

そして、酷い誹謗中傷の書き込みのことを言われても「自分の意見を書いて何が悪い」と大半が開き直るのだとか。

記事の筆者は、韓国の現在の教育が「競争に負けるな、自己主張しろ、あなたが一番」と教える家庭教育に問題があるのではないか心配だと書いていました。

また、「シンサルトルギ」という行為が社会問題となっているそうで、題の人物のソーシャルネットワークサイトから個人情報を暴いて、氏名、電話番号、会社名、自宅住所、家族関係といった情報をネットに流出させる嫌がらせのことで、「身上」+「はたく」の合成語だそうです。

身の上情報をネットに公開して「叩き(はたき)出す」という意味だとか。

ソーシャルネットワークサービスでは、住民登録番号や実名登録を義務付けたりと取り締まりを強化しているようですが、世界の流れに逆行するということで反発も強く、海外のSNSが流行るようになっているそうです。

これは、韓国の話ではありますが、日本社会もそう違いはないような気がします。

今の社会は、「昔のことは水に流す」というのが非常に難しく、何年も前の一度の過ちでも、昨日のことのようにさらされたりします。

記事の筆者も書いていましたが、たとえ「自分の意見を述べたいだけ」だとしても、相手(特に個人)がいる場合には「そういうことをされたらどういう相手に影響があるか」また「自分がされたらどうなのか」という点を考えた上で行動しないと、間接的にでも自分が殺人者になる可能性は誰にでもあると思います。

実際に自分が経験したことならまだしも、こういう場合は大部分が本当かどうかも分からない「友人から聞いた」話が起源です。
こんなことを堂々と実名で書いて叩く神経は、私には分かりません。

意思疎通の方法は、動物もさまざまに持っていますが、言葉を話すのは人間だけです。
人を苦しめる道具として使うのは、あまりにも書き手の人間性が低俗だといわざるを得ません。

お互いさまという言葉は、忘れたくないものです。

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