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ただちに問題はない・・・は間違っているのか その1

私にとって、今現在の認識としては、今回の福島原発事故については、チェルノブイリのような例もある中で、自然の力を甘く見て安全対策を怠った政府や東電、そして保安院の起こした人災であると思っています。

想定外の津波ということで、自然災害ではあったものの、このような爆弾的な要素を持つものについては、想定を大きく超えた安全対策があってしかるべきだったというのが、大半の方の意見だと思います。

ただ、原発の危険性については、何も言われてこなかったわけではなく、以前から度々「こういうところが危ない」的な話はありました。

今まで何も起こらなかったからと、国民自体も大きな声を上げたわけでもなく、莫大な補助金だか助成金で潤っていた県があり、そのこともあって強く政府や東電に安全対策を迫っていたとは言いがたいことも確かです。

また、事故が起きてからの政府の対応のお粗末さは、「後は誰がなってもいいから、とりあえず辞めてくれ菅総理」と国民に思わせるほど、理性のかけらもない対応で、国民は翻弄されました。

電源が落ちて、状況もまったく分からない初期の段階で東京電力に乗り込み「選挙前なんだぞ分かってるのか馬鹿やろう!!」などと怒鳴り散らして、東電に緘口令を敷いた民主党政権。

そんなことは表には出ないため、東電は当然ながら状況説明を求められ、結局は「あれもいえない」「これもいえない」というしどろもどろの会見で当初から信頼は失墜し、「嘘つき」呼ばわりされることになり、状況も分からない中できちんとした内容が政府にも伝わらず、東電の話と政府の発表が噛み合わないということも多々ありました。

こんな状態ですから、「政府や東電は嘘つき」というレッテルを貼られても、文句は言えないでしょう。
当初から津波で流される人やご遺体を映し出していた海外メディアや、80km圏内を避難区域とした米国などの方が「真実を言っている」とそちらの情報を信用して情報ソースとしていた方も多いようです。

災害などの報道姿勢については、日本と外国ではかなり大きく差があります。

アメリカのような国は、前提が「情報を開示して、判断は見た人の個人の責任」という考え方です。
このようなことがあり、人が流されたり、ご遺体を映したりとある意味包み隠さず報道するわけです。

日本では、極力ショッキングな映像は流さず、何千という被害者がいるにも係わらず、私たちはご遺体などを目にする機会はありませんでした。
これは確かに真実の一部を隠していることになりますが、同じ日本人として大した被害がなかった私たちも、多くは被災者の方たちのことを知るにつけ、大きく傷つき、落ち込んだりしました。
これがもし、真実だからと津波で流される人たちやご遺体などを連日報道されていたらどうなったでしょうか?

見なければいいじゃないかと言われそうですが、状況が分からない中でテレビやネットの情報を確認せざるを得ないため、目にしない可能性の方が低かったでしょう。
日本のメディアの質は、決して良いとはいえませんが、ことこの被災状況の報道については、隠してくれてありがたいと思っています。

しかし、今回のような災害では、海外メディアの報道のあり方が問われる部分もありました。
外国で起こっていることであるため、事実の確認が容易にできないにもかかわらず、悲惨な状況ばかりを報道し、その内容事態は嘘ではないものの、あっという間に日本全体が壊滅状態のような誤った認識を持った人が増えてしまいました。

外国の政府が、自国の人々を守るためにちょっと非科学的と思えるほどの基準を作って避難勧告をするのは、当然といえば当然なので、それ自体は仕方ないことだと思います。

ただ、この例があるからといって、「外国の政府は国民を守るために厳しい基準で勧告したけれど、日本政府は甘い基準で避難区域を狭くした」という理論は成り立ちません。

人の心理というのはそう簡単な構造ではないため、そこに住んでいる人たちを「とりあえず危ないかも知れないから」と有無を言わせず即避難とはいかない状況があるからです。

最近報道された事柄で、人間の心理というのは複雑だと思ったものがあったのですが、あれだけ不自由を強いられている避難所生活で、やっと仮設住宅が出来て高倍率にも打ち勝って当選した家族が「子供が友だちと別れるのが嫌だ」と反対したため、まだ仮設住宅に移っていないというニュースを見ました。

プライバシーを保つのも大変で、温かい食事にも事欠き、不自由な暮らしから少しでも良い暮らしに移れるというのに「友だちと別れたくない」という理由ひとつで、引っ越せない人たちがいるわけです。

少しでも便利な暮らしになれるのにと思った事柄も子供たちにとっては「自分たちだけお友だちと離れて暮らす」ということの方が、「ずっと悲しく我慢できない」ことなのです。

もちろん、すぐにでも移りたいと思っている方も多く、この家族はいわば「わがまま」と言われても仕方ない行為をしているのですが、「わがまま」と切って捨ててしまえる問題ではないと思います。

また、被災地で職を失った人が多くいる現実に他県の企業が「ぜひうちの職場で」と支援の声を上げていますが、実際にはなかなか就職・再就職が進んでいません。

その理由は、被災者の方たちに「地元から遠く離れたくない」という思いがあり、加えて「地元の復興を手伝いたい、見届けたい」という思いの方も多いからだそうです。

これも「この非常時にせっかく職を提供するという会社があるのに」と思う方もいらっしゃるかも知れません。

でも、それだけでは分からない人々の気持ちも受け止めつつ、進めていくのも支援なのではないでしょうか。

上記のような事柄もあり、現場から離れている人は「政府はなにをやっているんだ」と非難する人も多いのですが、では「○圏内は全部非難」と決まったとしても、よほどの根拠がない限り「ここに残りたい」と希望する人も出てきたかも知れませんし、実際そうなって益々混乱したのではないでしょうか。

生まれ育って愛着があり、友人・知人のいる土地から自分の意思ではないのに離れさせられるということは、そう簡単にいくものではないということも、理解しないといけないと思います。

ただ、「避難区域じゃないけれど、怖いから避難したい」という方たちに対して、もっと柔軟に支援するという体制作りも必要だと思います。
「それは勝手にやって」では、あまりにも人間味に欠ける行為ですから、何でもかんでもOKできることはないにしても、もう少し落ち着いた時点で、柔軟な支援体制を敷いて欲しいですね。
もうこの際大連立でもなんでもいいから、被災地の方の安全と日本の復興のために、権力闘争などというくだらないことをして無駄に使っている時間を使って欲しいと思います。

さて、タイトルの内容が出てこないじゃないかと不思議に思われている方もいらっしゃると思いますが、上記の前提を読んでいただいた上でないと理解していただけない部分もあるため、前置き的に書きました。

長くなりますので、その2に続きます。

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