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ダイアナの選択

毎月1日は映画の日。

だいたいどこの映画館でも、1本1,000円で映画が観られます。

となれば、「定価で映画は観ない」と決めている私には、レディースデー及び映画の日は大切な鑑賞デーです。

今回は、銀座にある老舗映画館、シネスイッチ銀座で上映中の「ダイアナの選択」を観てきました。

なぜこの映画にしたかといえば、まず、予告編で興味を惹かれたことと、超映画批評での紹介を読んだことからでした。

観る映画を決めるとき、評論家の批評なども読みますが、たとえ評価が低くても、自分が興味を持っていれば、とらわれずに観に行きます。

今回は、評価自体も高くて、なるほどと思いましたし、実は、これを読んでいて助かった!ということもありました。

この映画は結末が非常に衝撃的なんですけど、「驚異のどんでん返し」というわりには、公式サイトのイントロダクションページの記述が超がつくネタバレなんです。

これ、書いたやつ馬鹿じゃないかと思うのですが・・・。

そのことが超映画批評に書いてあったので、公式サイトどころか、この映画に関しては予告編以外の予備知識なしで観に行きました。

これが大正解。

あんな馬鹿らしいネタバレを読んで行っていたら、感動も半減したでしょう。
半減どころか、がっかりという感じだったかもしれません。

だから、もしこのページを目に留めた方がいらしたら、何の情報も仕入れずに観に行ってくださいとお願いします。

というわけで、今回は観た映画について書くわけにはいきません。

・・・・なんて書いたら、ブログを書く意味がなくなるので、いつもと違ってページを分けて、映画を観終わった方が「自分はこう考えたけどあじゃみんはどう?」という興味で読んでいただけるようにしようと思います。

くれぐれも、観終わっていない方はクリックしないでください。
本当に後悔します。

前半の最後にひとこと書くとすれば、まだ4月ではありますが、この映画は間違いなく私の今年の1本です。

まぁ、これじゃなんだか分からないと思いますので、まずは公式サイトのトップページにのみアクセスしていただき、動画配信されている予告編をご覧ください。

丸写しにするわけにいかないので、私にはすっきりとストーリーを紹介する自信がないんです。

でも、予告編を見たら、決して他のページは見ずに観に行きましょう!

Diana
(C) 2008 2929 Productions, LLC.

ダイアナの選択(PG-12)
原題: THE LIFE BEFORE HER EYES

製作年度: 2008年 
監督: ヴァディム・パールマン 
脚本:エミール・スターン 
音楽:ジェームズ・ホーナー
上映時間: 90分

出演:ユマ・サーマン、エヴァン・レイチェル・ウッド、エヴァ・アムーリ他
上映館:シネスイッチ銀座ほか順次ロードショー

さて、ここからは遠慮なく、ネタばれで突き進みます。

ある映画館でこの映画の予告編を観た時、「二人のうちのどちらかを殺す。さぁ、どっちを殺す?」と聞く犯人、震えながら友だちの手を離すダイアナ・・・。

次に、大人になったダイアナがあの時の選択で新しい人生を歩んでいる・・・と思わせるシーンが流れました。

この予告編を見ただけでは、多くの人と同じように、ダイアナが犯人から促されて「友人の名を口にした」か、それはないにしても「自分は死にたくない」と言って友だちが殺されたか・・・そう思っていました。

でも、この映画の原題がThe Life Before Her Eyesだと知った時、殺されたのはダイアナだったんだと確信しました。

そして、大人になったダイアナは彼女の想像、つまり、死にゆく時に自分の目の前に広がった「もし生きて大人になっていたらこういう人生を歩みたかった」というものではないのかと・・・そこまでは想像したのです。

また、そうやって「こうだろう」と決めて見ていくと、劇中で出てきた多くの「伏線」に気づくこともできましたし、「そうか」と感じることも多かったのです。

ダイアナの子供のエマが、どうしてあんな性格なのか、夫がなぜ彼なのか・・・。
また、教会になど行ったことがなかったダイアナが娘をミッションスクールに入れたのか・・・。

17歳の多感な時期、ダイアナとモーリーンがふたりで過ごした日々が回想され、現在(と見えるように描かれている)とのダイアナの対比が「これはダイアナの想像」なのだと気づかせてくれました。

ただ、どうしても分からなかったのは、大人になったダイアナが常に自分の人生そのものに苦しんでいることでした。

「どっちを殺す?」

と聞かれて、自分が死ぬことを選んだのだったら、「生きる価値がない」と自分に対して思う必要はないわけですよね。

なのに、そう思って苦しんでいる。

そこが、どうにも分かりませんでした。

何度も繰り返されるトイレでのダイアナとモーリーンのシーン。
最後の最後で、「ダイアナの苦悩の源」が明らかになりました。

「どっちを殺す?」

そう聞かれて、モーリーンはすぐさま「私を殺して」と答えました。
そこで、そうかと撃たれてしまったら、この物語は続きません。

犯人は、ダイアナにも「お前はどうだ」と聞いたのです。

その時、ダイアナは握っていたモーリーンの手を自ら離してしまいます。
すぐに「自分を」と言ったモーリーンとは違い、「死にたくない」と友だちを殺せとは言わないまでも、
生への執着をそこで出してしまいます。

ですが、「じゃあ、誰を殺すんだ」となおも犯人が聞いた時、ダイアナは「私を打って」と犯人に言うのです。

そして、犯人はダイアナを撃ち、自殺をしてしまいます。

倒れたダイアナと犯人の横には、撃たれずに生き残ったモーリーンが座り込んでいました。

ダイアナが「もし生きていたら、こんな人生を歩みたかった」と夢に描いた生活の中でも、一瞬の親友への「裏切り」がトラウマとなって、夢の中でさえも「私は生きる価値がない」と思わせてしまっていたのです。

終盤で、大人のダイアナの理想的な生活が崩れていく中、夫に向かって「うまくいくと思っていたのに」と泣きながら訴えるシーンで、死にゆく前のほんの一瞬に自分の理想の人生を描くはずが、結局「親友への裏切り(たとえほんの一瞬でも)」に対しての罪悪感・良心の呵責に耐えられず、夢であっても自分を許すことができませんでした。

ただ、最後にダイアナが庭の花を摘んで惨劇のあった学校に向かい、花を手向けて行くのですが、過去の自分の過ちに対峙しようとするダイアナの本当の未来への一歩・・・癒しが感じられました。

追悼式の受付の女の子が、花を持ったダイアナに向かって、「生存者の方ですか?」と聞いた時、「No」と笑って答えるダイアナの姿に涙がこみ上げてきました。

私の中では、この結末はどんでん返しでもなんでもなかったのですが、そんなことはこの映画の些細な部分でしかないと感じました。

未来を強く思い描くこと。

たとえ躓いたとしても、未来に向かって強く生きていく姿勢の大切さを感じたのでした。

この映画は、ひとつの結論はあるにせよ、色々な見方や感じ方ができる映画です。
私とは違った見方をした方も大勢いらっしゃるでしょうし、それこそがこの映画のメッセージなのではないかなと思っているところです。

しばらく経ってから、また観たいと思っています。

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